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GyaO躍進の秘密(前編)
---決定から開始までわずか3カ月のスピード

2006/04/20 ITpro

写真1 GyaOのトップページ
[画像のクリックで拡大表示]

 USENの無料ブロードバンド放送「GyaO」(ギャオ)が快進撃を続けている(写真1)。2005年4月25日に開局したGyaOの登録者数は,この5月中には1000万人の大台に届きそうな勢いだ。つまり,たった1年強で,1000万のユーザーを集めたことになる。ほかのブロードバンド放送がユーザー集めに苦労するなか,GyaOだけが成功している格好だ。

 GyaOが好調の理由の一つは,非常に早いスタートを切り,無料サービスの代表格のポジションを確保したことだろう。ソフトバンク・グループが,同じ無料の動画配信サービスとして「Yahoo!動画」を拡充させたのは,GyaOから8カ月も遅れた同年12月だった。つまり,半年以上もGyaOの独壇場だったわけで,USENの早期参入の効果が際立った。

 USENと宇野康秀社長が,他社に先行してサービスを始めようと,躍起になった結果が出た。USENは,GyaOの構想が固まってから,たった3カ月でサービス開始にこぎ着けたのである。

事業のきっかけは宇野の一言

 この数年,ブロードバンド環境が整ってきたことから,ネットとテレビの融合が語られてきた。USENは,割安な光ファイバ通信サービスを通じて,ブロードバンド環境の整備に貢献してきた。

 その光ファイバ事業の黒字化を実現した2004年に,USENでは役員・幹部を挙げて次の新事業模索していた。だが,コンテンツ関連事業の強化という方向性は打ち出せたものの,具体的な事業内容はなかなか決められなかった。社長の宇野康秀は,いろんな人にアイデアをぶつけながら次第にある構想を固めていった。それが,無料のブロードバンド放送である。

 2004年暮れ,宇野は,副社長の加茂正治を誘って夕食をともにし,2005年の新事業について語り合った。このとき,宇野がふと思いついたように,「ブロードバンド放送を無料でやってみたらどうだろうね?」と加茂に問いかけた。加茂は真顔で,「それはおもしろい」と応じた。この会話が,GyaOの第一歩だった。

 民放テレビと同様に,映像の合間にスポンサー広告を入れて,視聴者からは料金をとらない方式なら,視聴者数を急拡大できる。見る人が増えれば,広告収入も増え,事業として成立する。USENが企業コンセプトとしている「世の中に新しいものを提供していく」という考えとも,無料ブロードバンド放送は合致しているというのが,宇野の考えだった。

 加茂と会った数週間後の正月初めに,宇野は都内のホテルに役員を集めて,無料ブロードバンド放送を全役員に提案した。すると,時間をかけて異論を出し尽くすのが通常の同社役員会では珍しいことに,すんなり全会一致で決議した。さらに,4月に開局することも,この役員会で決まった。

優秀な社員をGyaOに集中させる


写真2 USENの宇野康秀社長
 役員会から開局まで,たった3カ月しかない。宇野は,「悩ましいのは,GyaOが完全にはビジネスモデル特許としては成立しないだろうということです。誰にでも真似されてしまうサービスですから,ほかがやらないうちに,黙ってスピーディに立ち上げるのが成功のポイントでした」と,当時の考えを語っている(写真2)。

 この短期決戦でのサービス立ち上げには,USEN持ち前の機動力が発揮された。USENでは,新規事業担当役員を決めるということをせず,全役員でいっしょに新規事業の準備をする。GyaOのケースも同様で,まさに全社を挙げて,人材をはじめとするリソースを最大限活用した。

 社長も役員も新事業に打ち込んでいるからこそ,どの部門でも優秀な社員をGyaOの担当にせざるを得ないのだ。宇野をはじめ,USEN社員はこの3カ月間,猛烈に働いた。役員会で決定してから開局までのすべての週末に,GyaOの進捗状況を確認する会議が開かれた。

 また,USENが映画配給会社のギャガ・コミュニケーションズをグループ会社とし,音楽のエイベックス・グループと資本提携していることは,コンテンツ集めに非常に有利だった。そのうえ,2001年にスタートした楽天との共同事業「ショウタイム」で,映像配信やコンテンツ契約のノウハウも蓄積していた。

 もっとも,逆風はいくつもあった。例えば,ライブドアによるフジサンケイ・グループへの敵対的買収の試みにより,ネット系企業へのテレビ局側の不信感が一時的に高まったこともあった。宇野は,積極的にテレビ局に出向いて,コンテンツの出し口を広げるという意味で,GyaOに番組を提供することはテレビ局側にも良いことだとていねいに説明し,協力を依頼していった。

 こうしてGyaOは,2005年4月25日に開局を果たしたのである。

 宇野によると,「うれしい誤算」もあった。制作会社や芸能プロダクションなどが,GyaOという新しいメディアに積極的に協力したいという意向を示したことだ。この結果,開局後のGyaOは,順調にコンテンツを増やし,視聴登録者数の増加に結びつけている。

----文中敬称略

==>>後編へつづく

                     

筆者:和田 勉

フリーのジャーナリスト。1966年京都府生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後,日本経済新聞社に入社。産業部や国際部などの記者を経て,1998年から3年間,テレビ東京に出向 して経済部記者を務めた。2001年からフリーのジャーナリストに。著書に『買収ファンド』(光文社新書),『企業再生ファンド』(同),『事業再生ファンド』(ダイヤモンド社)がある。なお,この記事の詳しい内容は,同氏の著書『USEN宇野康秀の挑戦! カリスマはいらない。』(2006年4月24日発行)に掲載している。

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