設計からプログラミング,運用管理までをこなすフリーランス(以下フリー)のITエンジニアとして,約1000万円の年収を安定して得ている古庄道明氏(35歳)。同氏が中堅ソフトハウスを辞めて個人事業主として独立したのは,1998年のことである。

 原因は,異動してきた上司との関係だった。「それまでの上司と違って,仕事を任せてくれないことがガマンできなかった」(古庄氏)。

 当時28歳で,自分のスキルに自信を持っていたことや,知人に起業家や個人事業主がいたことも,独立を後押しした。転職も考えたが,「会社に頼らず主体性をもって,先端の技術に関わる仕事をしたかった」(同)。

 とはいえ,会社員として当時,年間で500万円以上あった安定収入を投げ打つことになる。それだけに,古庄氏は知人のアドバイスなどを参考にして,用意周到に準備を進めた。

 例えば,「退職しても,当面は元の会社から業務委託してもらえるように,関係者1人ひとりと話を付けた」(古庄氏)。さらに古庄氏が退社しても連絡を取れるように,会社の名刺とは別に個人の名刺を作成し,社内や取引先に配って回った。

100件の営業メールは徒労に

 そうして個人事業主として独立したあとも,古庄氏は気を緩めなかった。元の会社の仕事を続けながら,次の仕事探しにも精を出した。時間を見つけては,首都圏にある中小のシステム開発会社に片っ端から売り込みのメールを送った。「1社ごとに事業内容を調べて人材ニーズを推測し,それに対して自分が何を提供できるか訴えた」(古庄氏)。そうして送ったメールは100件以上に上った。しかし売り込みのメールはほとんど仕事に結びつかないまま,元の会社の仕事が終わりを迎えつつあった。

 そんなとき古庄氏を救ったのは,それまでの人脈だった。物販用のWebサイトを構築するという,半年がかりの大きな案件が,知人を通じて舞い込んだのである。受注額は500万円だった。

 こうして,やりがいのある次の仕事を得た古庄氏だったが,「仕事が途絶える精神的な辛さを痛感した」。そこで知人の紹介だけに頼らず,営業手段を広げた。人材派遣会社に登録したほか,効率が悪いのを覚悟のうえでメールによる直接営業も再開した。そうして得た仕事を,選り好みせずどんどんこなしていった。

立場の弱さの克服も自己責任

 しかし仕事の幅を広げたことで,契約上のトラブルに見舞われることも少なくなかった。なかでも古庄氏がショックを受けたのは,受託開発したソフトウエアの納品後に一方的に代金を削られたことだった。

 それは,あるユーザー企業と直接契約した,小規模な業務システムの開発案件だった。「先方の責任者が実直で真面目そうな人だったこともあり,契約書を交わさないまま仕事に入った」(古庄氏)。これが災いした。開発を進めるなかで仕様変更が頻発し,納品日の前日にも大きな仕様変更を言い渡された。しかも追加料金は支払わないという。古庄氏は徹夜で修正し,翌日に納品した。


図1 古庄氏が顧客企業から受け取ったメール
度重なる仕様変更によって生じた不具合を理由に,約180 万円の代金を3分の1に減らすという一方的な通告が届いた

[画像のクリックで拡大表示]

 先方から受け入れテストが無事終了したとの電話連絡をもらったが,数日後になって届いたメールを見て古庄氏は目を疑った(図1[拡大表示])。約180万円の支払いを3分の1ほどに減らす旨の内容が書かれていたからだ。驚いた古庄氏が電話をかけて問いただしたところ,度重なる仕様変更に対応したことで新たな問題が生じ,それが先方の社内で物議を醸したらしい。その問題については古庄氏が予見して通知していたが,責任者は聞いていないとシラを切り,責任転嫁したという。

 話し合いの結果,20万円を値引いた約160万円の支払いで決着した。古庄氏は納得できなかったが,「こちらが譲らないと,交渉がまとまりそうもなかった」。

 そのほか契約上のトラブルから,人材派遣会社に約140万円の賃金を未払いにされたこともあった。「フリーのITエンジニアを舐めている」と感じた古庄氏は,弁護士を探して相談し,残金の支払いを求める内容証明郵便を送りつけた。その人材派遣会社は,あっけなく支払いに応じたという。

 「フリーのITエンジニアは立場が弱く,無理難題を押し付けられることがしばしばある。それも含めてすべて自己責任ということ。その認識と覚悟を強く持つ必要を改めて感じている」(古庄氏)。

(中山 秀夫)