私の知人でしょっちゅう転職する人がいる。中堅の独立系システム・インテグレータでITエンジニアとしてのキャリアをスタートさせ,一通り仕事を覚えた30代前半に,それなりに名の通った外資系ソフト・ベンダーに転職。私とはその頃に取材を通して知り合った。

 そこからが「転社人生」の始まりである。別の外資系ソフト・ベンダーの国内立ち上げに関わった後,なぜか通信機器のマーケティング職として転職。1年も勤めずに辞めた後,しばらく休養した。次には国産パッケージ・ソフトの企画・開発職として社会復帰。その後しばらく連絡がなかったが,いまは大手ユーザー企業系のインテグレータで働いているというメールが最近届いた。どの会社でも特にリストラされた雰囲気ではなかったので,あくまで自己都合で転職したのだろう。

 久々に会う知人は40代前半という歳を感じさせない,相変わらず飄々(ひょうひょう)とした雰囲気だった。しょっちゅう転職していますよね,と私はずけずけと言った。知人は「たぶん5,6社目くらいですよ。IT業界ではこのくらい珍しくないけど,確かに多い方かもしれませんね」と答えた。

 その知人は間を置かずに転職の理由を語り始めた。「まあ,飽きっぽい性格が理由の半分,それに染まりたくないのがもう半分」と言う。「こう言うと傲慢に聞こえるかもしれませんが,周囲のマインドが低いことに気が付いたり,自分が環境にすっかりなじんでしまってチャレンジ精神がなくなっているなあ,ということに気付くと,なんとなく転職したくなるんです」。

 人は得てして,自分の所属する組織の雰囲気や考え方に影響されやすい。それが良い方向に働くのであればよいが,悪い方向に働くこともままある。ITエンジニアを含め知識労働者は,工場の設備や道具を使ったからといって劇的に生産性を高めることは一般的に難しい。心地よさや程良いプレッシャー,仲間や顧客に貢献したいという意欲といった,定性的で感覚的なものに左右されやすい。そうしたことから考えると,知人の言うことも理解できなくもない。組織の雰囲気も,知的労働者が生産性をあげるために非常に重要な要素だからだ。

 P・F・ドラッカーは著書「経営者の条件」で次のように書いている。「組織は,優秀な人たちがいるから成果をあげるのではない。組織は,組織の水準や習慣や気風によって,自己開発を動機づけるから,優秀な人たちをもつことになる。そして,そのような組織の水準や文化や気風は,一人一人の人間が自ら成果をあげるエグゼクティブとなるべく,目的意識をもって体系的に,かつ焦点を絞って自己訓練に努めるからこそ生まれてくる」。さもありなん,である。

 転職は相応に大きな負担だ。転職を繰り返す生き方が幸せかどうかは分からない。ただ好意的に解釈するに,その知人は自分を高めたいという健全な意欲に正直に従った結果,たまたま転職を繰り返すことになった,ということなのだろう。

 その転職の多さが周囲からマイナス点として評価されるかもしれない。ただそうした周囲の評価はともかく,自分の感覚に正直に生きることは,幸せな生き方に必要な“要件”であることは間違いない。