ビフォー・ アフター富士通の子会社で電子部品や電池を製造するFDKが、赤字の長いトンネルをようやく抜け出そうとしている。2006年3月期末には5期ぶりの連結経常黒字が見えてきた。復活の原動力になったのが、2004年1月から決死の思いで取り組み出したトヨタ生産方式である。杉本俊春社長が「三顧の礼」をもって著名なコンサルタントを工場に招き入れ、トヨタ生産方式をゼロから実践し始めた。 それから丸2年が経過し、目に見える成果が出た工場の生産現場には明るさが戻ってきた。そればかりか、トヨタ生産方式の基本を忠実に再現した良いお手本の工場に生まれ変わり、今や毎月のように見学者が訪れるほどだ。 誰の目にも明らかなのは、一直線に伸びる電子部品の生産ライン。モノが停滞せず、まっすぐに流れている。それだけではない。導入した「かんばん」によって、顧客企業から届く「実需の情報」が工場内をスムーズに流れるようになった。 |
「このままでは債務超過に陥ります。改革に力を貸して下さい」
2003年末、富士通グループで電子部品を製造するFDKの杉本俊春社長(当時専務)は、すがる思いでこう言い、頭を下げた。相手は、岩城生産システム研究所(埼玉県東松山市)の岩城宏一氏。長年トヨタグループに身を置き、トヨタ生産方式の生みの親として知られるトヨタ自動車の大野耐一氏から直接手ほどきを受けた人物だ。岩城氏は現在コンサルタントとして、NECグループや富士通グループなどを指導している。
岩城氏の指導で立ち直ったグループ会社の評判を聞きつけた杉本社長は「トヨタ生産方式に賭けるしかない」と思い立つ。いてもたってもいられず、岩城氏が定期的に来ている富士通コンポーネントの指導会に飛び入り参加。その場で岩城氏に面会を求め、指導を直訴した。
2003年が終わる年末ぎりぎりになって、岩城氏から「年明けに工場に向かいます」との連絡が入った。杉本社長は年初に予定していたあいさつ回りをすべてキャンセルし、主力の湖西工場といわき工場で岩城氏を出迎えた。
岩城氏は工場の門の前に杉本社長以下、FDK幹部を整列させ、工場を出入りするモノと情報の流れを整えることから始めると宣言した。トヨタ生産方式では工場の内外でモノの滞留を無くし、全体の流れを円滑にする。工場の門はFDKと取引先をつなぐ要の場所だった。
あれから2年。赤字にあえぐFDKはトヨタ生産方式で息を吹き返した。2006年3月期には5期ぶりに連結経常黒字を見込む。
この間、杉本社長は現場を走り回った。頻繁に工場を訪れては作業員を激励。岩城氏の指導会の前日には、2時間かけて岩城氏とマンツーマンで綿密な打ち合わせをする。トヨタ生産方式を短期間で軌道に乗せるため、杉本社長が先頭に立って現場を引っ張った。
杉本社長は「工場が明るさを取り戻した」と力をこめる。これまではリストラ続きで疲弊した作業員が「みんな下を向いて歩いていた」(杉本社長)。元気を取り戻そうと杉本社長が率先して「あいさつ運動」を始めたが、それすら定着しなかった。
それがどうだろう。全部門の全社員がトヨタ生産方式に参加し始めて以来、工場のあちこちから自然にあいさつの声が聞こえてくるようになってきた。
今回取り上げる湖西工場を直接指導しているのは、岩城氏から教えを受けた中山生産システム研究所(静岡県掛川市)の中山文順(ふみより)氏である。岩城氏と中山氏の指導は終始一貫している。「工場内にスムーズな流れを作りなさい」というものだ。工程間の複雑な流れをやめ、生産に関係ないものを工場から排除して工程間を短くつなぎ、モノの流れをまっすぐにする。