新入社員が入社する季節になった。記者は,これから新社会人となるプログラマには大いに期待している。なぜか。これから社会に出てくる人たちは1990年代から長く続いた不況を経験していないため,常識に囚われない斬新なアイディアが生まれるのではないか,という願望にも似た思いがあるからだ。他力本願と言われればその通りだが,現代に生きる社会人の代表として,これから社会に出る若い頭脳を大切にしたい。

 青いことを言わせてもらえれば,本来,ビジネスとは,ものごとのあるべき姿,つまり本質を大切にして,楽しみながらやるべきものだ。それが,利益という側面から見ても,最も良い方法なのだと記者は思う。社会的な意義や独創的なエンターテインメント性など,ロマンを形にすることによって,結果として利益が付いてくる。新しいビジネスのスキームを創造できる人がいるとすれば,それはこれから社会に出てくる,不景気を知らない純粋な人たちだと思う。

人件費の削減がIT革命だった

 振り返って1990年代,時代は「コスト削減」と「生産性の向上」を求めた。まず,ITによってそれまでホワイトカラーの労働者が提供していた作業の多くをコンピュータが取って変わることとなり,人件費の大幅な削減につながった。次に,ITは労働者の生産性を飛躍的に向上させるため,労働者間の生存競争や企業間の生存競争が激化した。ITをうまく活用すれば,生存競争に勝利することも可能だった。当時の日経産業新聞の1面では,毎日のように世の中で革命が起こっていた。

 ところが,コスト削減や生産性の向上には大きな弱点があった。それは,新たな価値を何一つ生み出してはいないという点だ。ある部署のコストを減らすことに成功し,予算をカットしたとする。つまり10人いた部署が6人に減ったとする。また,生産性の向上により,それまで10時間かかっていた作業が6時間で終わるようになったとする。企業全体で残業時間が減ることで人件費は削減できるものの,余った人件費をどう有効活用するかについては,何一つ語っていなかった。

 現在37才の記者が社会に出たのは1992年のことであり,入社と同時にバブル経済が崩壊した。つまり,記者と同年代から下の世代は,景気の良い時代を経験していない。記者自身も,企業活動とはコストの削減のためにあると思っていた。本来の企業の役割であるところの,事業を利益につなげるためのスキーム作りに関しては,こうした理由から,まったくの無知だった。

 当たり前だが,企業はコストを削減するために存在しているわけではない。利益を生むために存在しているのだ。1990年代は,短期間で利益を生むための方法が,コスト削減と生産性の向上だったということに過ぎない。本来,企業がやるべきことは,ビジネスのスキームを創造し,実践し,社外からカネを得る(売上を得る)ことだ。コストを削減できても,元々の売上が無ければ,利益も存在しない。

 一般に企業は,景気の良いときには巨額の開発費用を投入して,売上を伸ばす戦略を取る。仮に経済の状況がバラ色の絶好調になったとしたら,数値データがまったく存在しない,感性だけで作ったような事業計画書であっても,予算が下りてGOサインが出るだろう。反対に,景気の悪いときには開発費を削減するとともに,既存事業のコストを削減して収益率を少しでも高める戦略を取らざるを得ない。不景気の中での労働者は,稟議を通すためのプレゼン資料の作成術だけが向上する。

支援ツールは充実している

 もちろんITが果たした役割は,人件費の削減だけではない。新しいビジネス,新しい業務を生み出すための支援ツールとしての側面もある。例えば,データ・ウエアハウスに蓄積した実績データから必要なデータを切り出し,データ・マイニング・エンジンを使って動向を調べ,多次元キューブを定義し,自分用に作ったビューを見ながら事業戦略を立案する。米国企業はこうした専任アナリストを雇用しており,国内においては,実際はどうであれ,業務部門の管理職が業務分析にITを駆使しているのが常識であると語られていた。

 最近では,いわゆるEAI(エンタープライズ・アプリケーション統合)の進化によって,データ・ウエアハウスではなく,個々の情報システムからリアルタイムにデータを引き出して活用するシナリオも生まれている。アナリストではなく,業務部門のエンドユーザーがポータル画面から情報を利用する,というシナリオだ。例えば,予算をクリアするために商品を値下げしてもいいかどうかを,営業担当者が自らその都度,意思決定できるようにする。

 SOA(サービス指向アーキテクチャ)というキーワードもまたEAIの進化形であり,個々の業務をコンポーネント化して自由に組み合わせられるようにする。いわゆる変化に強いシステムを実現する。ソフトウエア的には,関数/クラスのライブラリからコンポーネントへ,そして業務(サービス)へと,抽象化の単位がより上位のレイヤーに移ったことを意味しており,その主たる要素は,Webアプリケーション・サーバーをインフラに使った,Webサービス間のメッセージ基盤である。

 ところが,コスト削減や生産性の向上に生きた記者のような世代は,新ビジネスを創造するための道具を与えられても,どう使えばよいか分からない。分かっていたとしても,実際に新ビジネスを実現することに抵抗を感じる。抵抗を感じなかったとしても,多くの人を巻き込んで事業計画を推進するだけのエネルギーが沸いてこない。理由は単純だ。コスト削減や生産性の向上は,1990年代の企業にとっての絶対善であり続け,誰もが理解できる共通言語だった。その共通言語が体に染み付いているからである。

ロマンに忠実に生きよう

 1980年代,景気が良かった頃のITは輝いていた。記者もまた新卒時はシステム・エンジニアとしてSIベンダーを志したが,その理由はプログラマの多くが感じているものと同じで,単純だった。ITを使った社会のインフラ基盤を,つまり,人と人とのコミュニケーション基盤を創造し,社会に実装したかったのだ。すべては名誉という自己満足のために,である。残念ながら記者は夢を実現するだけのプログラミング能力に欠けていた。だが,実現したいことは確実にあった。

 多くのプログラマは,似たような憧れを抱く。以下のような人や組織を尊敬している人も多いに違いない。活版印刷機を開発したグーテンベルグ(Johannes Gutenberg),アスキー創業者にしてカリスマの西和彦,万人の自己表現欲求を満たしてくれたパソコン通信とWeb日記ツール,Webベースのインターネット掲示板を万人に広めた2ch,インターネット上にファイル共有用ネットワークを動的に生成したGnutella,ロボット型検索エンジンのAltaVista。つまり,コミュニケーションのあり方を変えるような活動をしたいのである。

 社会インフラなどと大上段に構えないまでも,臆することなく柔らかい頭で新ビジネスを発想できる可能性---。これを記者は,これから入社するプログラマに求めたい。