図1 点字図書の増加を示すグラフ<br>点訳ひろば・ないーぶネットにおけるデジタル点字書籍データの増加。データは,ないーぶネット東京事務局提供
図1 点字図書の増加を示すグラフ<br>点訳ひろば・ないーぶネットにおけるデジタル点字書籍データの増加。データは,ないーぶネット東京事務局提供
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障害者や高齢者が自由にコンピュータを操作しインターネットアクセスできる環境は情報技術の発展とともに
徐々に整ってきた。今では画面読み上げソフトによってワープロ操作やインターネットを利用した買い物,資産管理ができる。これらアクセシビリティの実現では,いかに簡単にアクセスできるかが重要だ。(本誌)

日常生活の中で,いつでもどこでもコンピュータにアクセスできるユビキタス時代が到来しようとしている。あらゆる場面で自然な動作でコンピュータを操作できるようにするには,さまざまなユーザー・インタフェースが必要になるだろう。視覚を利用できないときもあれば,聴覚や手足が一時的に使えない場合もあるからだ。実は,これらの状況を考慮した操作性の実現は,障害者に使い勝手の良いインタフェースを提供することにもつながる。

 私は全盲の研究者として,「標準のユーザー・インタフェースではアクセス困難な障害者や高齢者が,コンピュータやインターネット上の情報に自由にアクセスできるようにすること」を目指してきた。いわゆる情報アクセシビリティが研究テーマである。ユビキタス時代に向けた研究が進む現在はまさに,あらゆる場面でアクセシビリティを実現できるかどうかの正念場であると感じている。

 本稿では,20年間にわたりアクセシビリティとかかわってきたなかで感じたこと,そして今後アクセシビリティを普及させるための方向性を紹介したい。前編では,アクセシビリティとの出会いから,日本および世界においてアクセシビリティ向上のためにどのような動きがあるかを述べる。

90年代後半から普及

 アクセシビリティという言葉は,ここ10数年の間に認知度が高まってきた。もともと,1960年代に「車椅子を利用した場合の建物などへのアクセス容易性」を指す用語として使われ始めたといわれている。IT分野でいつから使われるようになったのか明確ではない。だが,1997年に「WWW Consortium Web Accessibility Initiative」が発足していること,また米IBM社が2000年に障害者支援組織「Special Needs System」を「Accessibility Center」と改称していることを考えると,1990年代後半に急速に普及したようだ。

 アクセシビリティという言葉が登場する前は,障害者のための支援技術(Assistive Technology)やバリアフリー技術,あるいは感覚代行技術などと呼ばれていた。しかし,これらの言葉が指し示す範囲は非常に限られており,障害者を支援するための特殊な技術群とされていた。この認識を変えたのは,コンピュータ技術がもたらすQoL(Quality of Life)の向上だった。

日常生活を支援するIT

 コンピュータ技術による革新以前,視覚に頼れない生活ではいくつか困難な状況が生じていた。問題は大きく二つあった。

 まずは点字の修正や複製が難しいこと。点字は専用用紙に物理的に1文字ずつ穴を開けて作成するため,修正や複製が難しく点訳に膨大な時間がかかった。この結果,点字図書の慢性的な不足が問題になっていた。もう一つが,買い物や銀行での手続きなど外出しなければ得られないサービスが多々あったことだ。

 コンピュータ技術はこれらの問題を解決した。点字の作成を簡単にしたのは,点字ワープロ「BES(Braille Editing System)」だった。BESの登場により,デジタルデータとして点字「データ」を作成してから点字プリンタに出力できるようになった。また,こうして作成した点字図書をネットワーク上で共有することで,点字図書の不足を解消できた(図1[拡大表示])。この点訳ネットワークを「NAIIV(National Association of Institutions of Information Service for the Visually Handicapped,ないーぶ)」という。

 英語や漢字,ひらがななどの文字をそのまま扱えるソフトウェアも登場した。画面読み上げソフト(スクリーン・リーダー)である。これにより,視覚障害者もワープロ・ソフトなどで作成した文書を読めるようになった。紙に印刷された文字であっても,スキャナーで読み取りOCRを使って文字情報を取得すれば,スクリーン・リーダーで読み上げられる。点字を介さずに通常使用する文字をそのまま扱えることで,情報交換がスムーズになった。

 二つ目の問題だった買い物や銀行での手続きなどは,インターネットの普及により大幅に改善された。オンライン・ショッピングなら独力で商品を選択可能だし,オンライン・バンキングを使えば個人資産を管理できる。さらに電子メールを使って,健常者,障害者を問わずコミュニケーションが可能になった。

 これらの技術のうち,どれか一つでも欠けてしまうと視覚障害者の生活が成りたたなくなってしまう。健常者にとって便利な機能は,視覚障害者にとっては「便利」という言葉にはとどまらない「不可能を可能にする力」を持っている。アクセシビリティ技術は障害者の就労,教育,そして日常生活を向上させるために必須の技術群であるといえる。


浅川 智恵子 Chieko Asakawa/日本アイ・ビー・エム 東京基礎研究所 主席研究員

日本アイ・ビー・エム 東京基礎研究所 主席研究員

中学時代にプールでの怪我がもとで失明。1982年に大学の英文科を卒業。1985年に日本IBM入社。2004年に東京大学工学系研究科博士課程終了。入社後はアクセシビリティ技術の研究開発に従事。1997年に視覚障害者でもネットサーフィンが楽しめるソフト「ホームページリーダー(HPR)」を開発。現在11カ国語に対応。2004年に視覚障害者や高齢者にとってのウェブサイトの使い勝手を評価できるソフト「エーデザイナー」を開発し,現在体験版が公開中。これらの功績により,1999年厚生大臣表彰を受賞,2003年に米国女性技術者団体WITI(Women In Technology International)が選定する女性技術者の殿堂入り,日本女性科学者の会功労賞受賞,日経ウーマンWoman of the Year 2004で総合2位,2004年第3回日本イノベーター大賞(日経BP社が主催)において優秀賞を受賞。