主要なインターネット関連技術は,ほとんどが米国に起源を発している。ところが,その例外とも言えるものがある。一般社会ではインターネットの代名詞となっているWorld Wide Webである。その基礎となる技術はURI,HTTP,HTMLの三つに集約される。これらは皆,欧州で生まれた。

インターネット上のハイパーリンク

 欧州各国が中心となって運営する研究機関「CERN(セルン)」は,1980年前後,膨大な文書の管理に頭を悩ませていた。そうした中,CERNの研究者だったTim Berners-Lee(ティムバーナーズリー)は,文書を効率的に管理し,情報を共有するシステムのアイディアを温めていた。それは,文書中に置いたリンクをたどって別の文書を呼び出す「ハイパーテキスト」と呼ばれるしくみと,米国を中心に発展しつつあったインターネットを組み合わせたシステムだった。彼は,そのシステムを実現するため,URI,HTTP,HTMLを考え出したのである。

 Berners-Leeは,このシステムを「WWW」と名付け,CERNに提案した。ところが,CERNの上層部はその提案に何のアクションも取らなかった。実際にWebを動作させるためのクライアントやサーバーのプログラムは,彼自身が書かなければならなくなった。

 同僚の助けを借りながら基本的なプログラムは作成したが,さまざまなプラットフォームに対応した使いやすいソフトウエアに仕上げるのには人手が足りない。そこでBerners-Leeは,外部の優れたプログラマが開発を進めてくれることを期待して,Web技術の仕様やサンプル・コードを広く公開することにした。その意図は的中し,ほどなくすぐれたWebブラウザやWebサーバーが登場した。

パブリック・ドメイン化を決断

 しかし,Berners-Leeには懸念があった。彼の所属していたCERNがWeb技術の著作権に対する態度を明らかにしていなかったことだ。

 Webの普及にはWeb技術の無料公開が必要だと考えていたBerners-Leeは当初,「GPL」(GNUグヌー:general public licence)と呼ぶライセンス体系を採用すべきと考えていた。GPLでは,ソフトウエアの使用や改変,再配布は自由だが,その成果物にも同じ条件が適用される。

 ところが,これを制約と考える企業もあるという話を聞いた彼は,「パブリック・ドメイン」という条件でWeb技術を公開すべきだと考えを改めた。パブリック・ドメインでは,著作者が著作権を主張せず,著作物を公衆の共有物とする。

 Berners-Leeと同僚たちの説得もあって,CERNはWeb技術のパブリック・ドメイン化を決断した。CERNは,Berners-LeeがWeb技術を開発するのに手助けしなかったが,Web技術の著作権を放棄することで今のWebの隆盛を支えたのである。