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 10月6日の夕刻,情報化研究会のAさんから電話が入った。東京に出張で来たのだが,用件がすんだので立ち寄りたいとのこと。6時過ぎに来てもらうことになった。筆者がいるビルの最上階にはちょっとしたレストランがある。決して高級ではないが和洋のしっかりした料理とおいしいお酒が楽しめる。自慢は夜景のすばらしさだ。隅田川のゆったりした流れの向こうに汐留から築地・銀座・箱崎まで,東京の中心部のビル群がきれいに見える。ここ数年で林立した高層ビルがアクセントとなって,このビルができた12年前と比べると夜景は一層見事になった。

 Aさんと窓際のテーブルにすわり,赤ワインを1本選んで食事を始めた。今回はAさんとの会話の中で面白いと思ったペーパーレスについて書こうと思う。

ペーパーレスで紙があふれた

 ネットワーク・エンジニアであるAさんのオフィスではペーパーレス化をしたという。マニュアルや技術資料など膨大なドキュメントを電子化し,保管スペースの削減,情報共有,検索の容易化を実現するのが目的だ。おかげでAさんの個人持ちの資料はダンボール10個分あったのが,3個分にまで減った。これだけなら,めでたしめでたしだ。が,そうはならなかった。

 設計書や提案書を書くAさんは,技術資料にラインマーカーを引きつつ読み込まないと思考が進まない。そこで,必要なドキュメントはサーバーからプリントアウトして使うことになる。近ごろの「複合機」と呼ばれる高性能なプリンタは,1分間に両面で50ページ以上の出力ができる。200ページ程度のドキュメントは「印刷」→「OK」をクリックしてからトイレに行き,戻ってくるともう出力が終わっている。すばやくプリントできるので,必要なドキュメントはどんどんプリントして読み,不要になれば捨ててしまう。

 結果,「ストック」として保管される紙はペーパーレス化されたが,「フロー」として消費される紙はあふれているという。ペーパーレスなのか,そうでないのか分からない「間違いだらけのペーパーレス」と言いたくなるような状況だ。

 一方,コンピュータ専門誌などで紹介されているペーパーレス化事例には,本社の全部署で紙を使わない仕事の仕方を徹底し,プリンタも極力置いていないという企業がある。Aさんのペーパーレスとは対照的だ。この違いはどこから来るのだろう?

 おそらくは定型的で単純な業務と,非定型で創造的な業務の差ではないかと思う。単価表で価格が決まっているようなサービスや商品の見積書や契約書を作っていればすむ業務ではペーパーレス化は容易だ。しかし,企画書や設計書,あるいはこのコラムのような原稿を書く時には考えるツールとして紙が不可欠だ。単純な見積書を作るのに参考文献や資料は不要だが,創造的な仕事では情報を集め,それを参考にしつつ自分のアイデアをまとめる。

 例えば筆者がこの原稿を書くにあたってインターネットで調べた情報に,最新のコピーマシンの機能や性能,それを使ったペーパーレスの事例がある。代表的なメーカーのWebを調べて,ポイントとなるページだけプリントする。ほかには情報通信白書のページで郵便の取り扱いが経年的にどの程度減っているか調べた。世の中全体でペーパーレスが進めば,当然,郵便の取り扱いは減少する。減少の度合いがペーパーレス化の進展度を表すと思ったからだ。

 自分が必要と思う情報が集まったら,それをながめつつアイデアを練る。ディスプレイ上で複数の資料を見ながら,ワープロも同じ画面で使うなど不可能だ。ピックアップした10枚ほどの紙ならあちこち読んだり,思いついたことを書き込みながら,ワープロを打つことができる。Aさんのようにマニュアル丸ごとプリントというのは高速プリンタが生み出す悪い使い方かもしれないが,創造的な仕事は紙をある程度使った方が生産性が高まるのは間違いない。

ペーパーレスの最強ツール

 ここ10年で社会全体のペーパーレス化が大きく進展した。その最強のツールはインターネットとイントラネットだ。Webは電子化された情報の宝庫であり,検索エンジンはそこから必要な情報をすばやく見つけることを容易にした。情報を書籍や紙のファイルとして持つ必要が少なくなった。

 例えば筆者のブラウザのお気に入りには情報通信白書17年度版(PDF)が入っている。先ほどの郵便物の統計データを調べるには目次を開き,何章何節にデータがあるか調べてそのページをクリックすればよい。情報通信白書は322ページ,2600円の書籍としても販売されているが,Webなら無料ですばやく参照できるしスペースもとらない。電子データだから自分の作るスライドへの図表の引用も簡単にできる。こんな有用な情報が無料で手に入るのがインターネットのありがたさだ。書籍や雑誌などの紙をインターネットが代替している。

 情報の流通もメールでペーパーレス化が進んだ。情報通信白書によれば国内郵便物は平成13年度の262億通をピークに,14年度256億通,15年度249億通,16年度237億通と減少を続けている。減少のペースこそ速くはないが,これまでずっと増加を続けてきたのが減少に転じたことは大きな変化と言えるだろう。

 イントラネットで社内のペーパーレス化も大いに進んだ。筆者の会社では社内業務で必要なドキュメントはほぼすべてが電子化され,イントラネット上で検索できるようになっている。出張手続きや休暇申請などの諸手続きもWeb上で処理され,紙は使われない。

 おそらく誰でも,どこの会社でも同じようなペーパーレス化のメリットを享受しているはずだ。にもかかわらず,なぜ「ペーパーレス」が今あらためて注目されているのだろう?

一歩進んだペーパーレス

 そこには,複合コピーマシンやIP電話を売りたいベンダーが実験的なオフィスを自ら作り,さかんにPRしている影響もある。しかし,一歩進んだペーパーレスが可能になったことは事実だ。それには制度的要因と技術的要因がある。2005年4月のe-文書法施行によって,これまで紙で保管せざるを得なかった契約や税務関係の書類を電子化して保管できるようになった。

 技術面ではネットワークがブロードバンド化され,メガバイト単位のドキュメントでも短時間で送受できるようになった。ストレージの低価格化,大容量化,小型化は電子情報の保管コストを押し下げた。

 そして技術面で核になりそうなのが進化したコピーマシン,複合機だ。OSPFと言えばIPネットワークのルーティング・プロトコルだが,複合機の基本機能はCSPFと略すると覚えやすい。Copy,Scan,Print,Faxの四つの機能だ。基本機能に加えて,文書の保管・検索・配信機能も持っている。これらの機能は1台のマシンで備えている場合もあれば,複数のマシンが連携して実現する製品もある。

 もはや10年前のコピーマシンとはコンセプトそのものが変わっている。確かにコピーもプリントもできるのだが,これらは紙を増やす機能であり,ペーパーレス化する機能ではない。外部から入ってくる紙の文書や既存の様々なドキュメントを電子化するスキャナー,グループウェアやアプリケーションと連携できる保管・検索・配布機能が企業内の情報共有や事務効率化を進める上で有用になっている。

 コピーマシンのベンダーは紙とインクで利益を上げてきた。それが今や自己否定とも言えるペーパーレスを推進し,電子情報の有効活用を実現する製品とソリューションの提供という新しい領域に自分の存在価値を見いだそうとしている。まさに革新的だ。

 雑誌で紹介される企業のように画一的にペーパーレス化を進め,プリンタさえ置かないというやり方が正しいとは思わない。やみくもで画一的なペーパーレスや複合機の導入は感心しないが,ユーザーの要件を踏まえた賢いペーパーレス化を考えることは価値のあるテーマだと思う。既述のとおり,ユーザーの業務のあり方によって紙へのニーズは異なる。ペーパーレス化とは「紙を上手に使うこと」と考えるべきかもしれない。

宇無樹とは

 Aさんと食事をしたレストランは宇無樹(うむぎ)という。「うむぎ」とはハマグリの古い呼び名だ。その昔,日本書紀の時代に景行(けいこう)天皇が房総に行幸され,そこで供されたハマグリの美味をほめられたという故事にちなんだ名前だという。

 長い間親しんだ店なのだが,残念なことに11月末で閉店することになった。近いうちに研究会仲間でさよならパーティをやろうと計画している。


松田 次博情報化研究会主宰。1984年より,情報通信に携わる人の勉強と交流を目的とした情報化研究会を主宰。近著に,本コラム30回分をまとめるとともに,企業ネットワーク設計手法について新たに書き下ろした『ネットワークエンジニアの心得帳』がある。NTTデータ勤務。趣味は,読書(エッセイ主体)と旅行。