早川がトリリアムに出会ったのは99年の初めのことだ。別の商品を担当していたところ「トリリアムも売れ」と指令が下った。しかし、トリリアムを見て「アグレックスの強みを生かせる絶好の商材」と感じた早川は、素直には従わなかった。「売るなら片手間ではなく専門の部隊を」と会社に提案したのだ。
早川を異例の行動に駆り立てたのは、バブル崩壊時の経験だった。93年頃、アグレックスの業績は低迷した。辞める社員も相次ぐ中、「何とか自分たちで業績回復の芽を」と考えた若手が自主的に集まり、アグレックスならではのビジネスを模索した。早川もその1人だったが、「起業家精神に富んだメンバーもいて、皆で合宿したり、飲んだりする中で大いに触発された」という。業績が回復した後も、早川の中には「我々にしかできないビジネスを作りたい」という思いが強く残った。
99年4月、上司と早川の2人だけの「トリリアムビジネスプロジェクト」が発足した。「駅前でのティッシュ配りも辞さず」という構えで早川は売り込みに駆け回った。2001年4月のペイオフ解禁の直前には、東北、九州、中部の地銀を1日で回ったという。半年で大型商談2件を獲得し、99年10月、プロジェクトは事業部門に昇格した。現在、導入実績は100社を超える。
早川の願いは「棺桶に入る時、満足した生き方だったと思えるように生きる」こと。しんどい時は、手帳の表紙裏をそっと見返す。「意志あるところに道は開ける」。早川の最も好きな言葉だ。
早川 真史(はやかわ まさし)氏 |