最近、ある人から、「最近のジャーナリズムはだらしがない」と叱られてしまった。「私は前々からライブドアは怪しい会社だと思っていた。それなのに、マスコミはこれまで堀江貴文社長を持ち上げてばかりいたじゃないか」というのが、その理由だ。

 実はこの人というのは、私の父(元テレビ局員)である。私はこう反論した。「そう思う記者がいたとしても、明瞭な根拠もなしに印象だけで『怪しい』と報道記者が書けるわけがない。ベンチャー経営者を端からうさん臭いなどと叩くような記者は、それこそ逆に見識を問われるんじゃないだろうか」と。

 そんな矢先、先日もテレビを見てたら、ある有名コンサルタントが「あんな人(堀江氏)は経営者じゃない」と一説ぶっていた。そこまで叩かれているのを見ていると、冷静に堀江氏に関する記憶を振り返ってみようという気持ちになる。といっても、ここ最近の堀江氏の動向に詳しい取材記者は日経BP社に少なからずいると思うので、あくまで個人的な記憶と知識に基づく印象であることをお断りしておく。

 私は5年ほど前の2000年に、IT業界記者としてライブドアの前身「オン・ザ・エッヂ」時代の堀江社長を取材した。残念なことに当時の取材メモが見つからないのだが、当時は、IDCと呼ばれるインターネットデータセンターの投資ブームで、同社もIDC事業を手がけていたので取材したのだ。

 当時の印象は、ほかにも数多かったIT系ベンチャー同様、既存の大手ベンダーをものともせず、インターネット関連システムの提供に取り組む技術志向ベンチャーの経営者そのものだった。今のように金融制度の抜け穴をついて、M&A(企業の合併・買収)を活発に行う経営者、という印象は微塵もなかった。

 実際、堀江氏は自らリナックスのシステムを構築しながら会社を大きくしてきたのだから、平均的なビジネスマンよりはシステム技術にははるかに詳しかった。おそらく、システム技術者としての知識は、他企業のCIO(情報戦略統括役員)やシステム部長に引けをとることはないだろう。

 しかし……。今にして振り返ると一つだけ、マイナスの印象として思い当たることがある。それは、堀江氏から中長期的に何か特定の技術なりコンテンツ分野でナンバーワンの事業を育てるといったビジョンを聞いた記憶がないことだ。

 昨年までの派手な買収騒ぎだけを見ていると、堀江社長は、大胆にハイリスクを取ってハイリターンを狙う人物のように思い込んだ人が多いかもしれない。だが、私はあえて異を唱えたい。堀江社長の実像はむしろ、中長期的なリスクは取りたがらなかった人物、という印象である。一般企業より、はるかに貪欲にローリスク・ハイリターンを追求した結果が、あの時価総額重視の経営だったと思う。

 例えば、IDCにおけるサーバーの運用代行に取り組んではいたが、実はその形態は他社の施設内の一定区画をまとめて借りて自社ブランドで提供するというバーチャルIDCであった。つまり、成長のありそうな流行の事業に取り組んではいたが、固定資産に投資するリスクを負っての参入ではなかった。既に参入が相次いでいた同分野において、SLA(サービスレベル契約)や、今後の事業展開に関する展望の回答はなく、戦略的に差異化を検討していた印象もない。

 長期の展望が弱い点は、人材投資にも見て取れる。人材への投資に消極的だったようにも思えるのだ。同社は、社員は自分で学習して成長するもの、として、社内のメーリングリストや社内勉強会が、企業として社員に提供する唯一の学習機会としていた。

 今もなお、ライブドアに関する報道を見ていると社員の平均在籍期間は1年前後とずいぶん短い。これでは人材投資など無意味である。ベンチャー企業だから短くて当然という人もいるかもしれないが、これほど短いと、現場のマネジャーは仕事の質を維持・管理するのが大変だろう。普通の企業なら隠したがるような事実だが、あっけらかんと情報開示しているのが同社らしいといえば同社らしい。

 しかし一方で、こうした堀江氏の経営姿勢を受け入れた人が若い世代に多かったことの意味を考えると、一般の企業が置かれている現実もまた浮き彫りになるのである。

 堀江氏が会社論をぶった本はかつてベストセラーになったし、インターネット上の情報サイト「オールアバウト」が2005年1~2月に調査した「憧れる経営者」のアンケート(有効回答数495票)でも、本田宗一郎氏や松下幸之助氏を歴代の名士をさしおいて、なんと2位にランク入りしていた。(ちなみに1位は、日産自動車社長のカルロス・ゴーン氏)。

 これは何を意味するのか。若い世代を中心に、「会社とはそういうものなのだ」と、一緒くたに同列視され始めていることだと思うのである。つまり、コツコツとノウハウを積み上げて強みを確立していくよりも、多くの会社は、短期的な成果を追い求める戦略を採り、人材については、その場その場で成果を出した人のみを高く処遇する「実力主義」に向かっている──と。

 こう書くと「冗談じゃない。私の会社は違う」と憤るビジネスパーソンも多いだろう。だがバブル崩壊後、大規模な早期退職を実施することで業績回復を果たしたり、終身雇用を明言しなくなった経営者がめっきり増えた現実もある。人事制度においても、給料の原資を抑えながらの成果主義のもとで、評価が「中」以下の社員は収入が上がらない。堀江流経営を強く支持していた若いビジネスパーソンの目は、こうした弱肉強食の色彩を強める世の中の潮流をひしひしととらえていて、その究極の姿として堀江氏を見つめていたとは言えまいか。

 さて、若者からそんな風に思われてしまう人事制度でよいのだろうか、というのが現在、私が手がけている取材テーマと関係している。

 ライブドアのような若い企業は、年々売り上げや時価総額が伸びていること自体に確かに夢がある。投資家が企業を成長企業とみなすのは数年からせいぜい十数年の間だけだから、どこかで馬脚を現すことも必至だが、とりあえず成長企業は、そこにいるだけで社員が元気になれる要素がある。

 では青年期を過ぎた企業が成果主義の人事制度を実施したとき、大半の社員にとってやる気の源泉とは何か、それを企業側はどう供給すればよいのだろうか。

 これまで、成果主義は、高い評価が得られていなくても、「次に頑張れば評価が上がる」と社員が思えばモチベーションは維持できることになっていた。だが、そう思っているのは経営者や人事部門だけで、現場には不公平感や不満が残っているという調査結果もある。

 人事問題の調査研究を手がける、慶応義塾大学総合政策学部の花田光世教授は、「成果主義をベースとした人事制度は経営上、今後も否定できないもの」としつつも、「成果主義はA+やAの社員には報いるが、A-やBの社員には配慮が行き渡らない運用になりがち。人材育成のための制度運用へと企業は見直しを進めるべき」と提言する。

 どんな取り組みがあれば、成果主義人事制度は「人材育成型」といえるのか。その詳細は、代表的な事例をベースに、日経情報ストラテジー4月号(2月24日発売)で特集記事をお届けする予定だ。

 取材を通して感じることは、方向性は明快である。やっぱり、何かしらの「夢と希望」がなければやる気は出てこないということだ。だが、その与え方には、すべての企業に通用するような万能薬はなく、いろいろなやり方や仕組みがある。企業の置かれた状況によって、処方せんは変わってくるようだ。