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 9月17日土曜日の朝,いつものようにパソコンを立ち上げて情報化研究会のホームページの「間違いだらけのネットワーク作り」を書いた。ちょうど400回目だった。毎日やることを日課というが,毎週やることを週課というのだろうか。とにかく1997年9月から毎週書いて丸8年たったことになる。

 ホームページに記事を書いてきたおかげで,本コラムを書く機会をもらい,記事を読んだ方が1000人以上も情報化研究会に入会した。これらの人との交流はとても楽しく,また勉強にもなっている。今週届いたネットワーク専門誌を何気なくパラパラめくっていると,「私の情報源」という特集があり,最初のページにホームページの「間違いだらけ」が紹介されていた。通信事業者の若手役員が書いたものだ。

 「システム・インテグレータとしての豊かな経験に基づく卓見が随所に見られ,通信キャリア側の人間としてもうならせられる意見が掲載されている」「バックナンバーも豊富にそろっており,さかのぼって読破していけば,ここ数年の通信技術史に詳しくなれるだろう」とのこと。最大級の賛辞をいただいて嬉しい限りだ。これからもコツコツと書き続けようと思う。

 さて,今回は二つのエピソードを通してコントラストの大切さについて書きたい。ネットワークに限らずアイデアを練り上げる時は対案を考え,二つ以上の案を比較検討することで良い案を選択したり,新たな案を生み出すことができる。

現在と将来

 9月2日,1カ月半ぶりに神戸を訪れた。7月に兵庫ニューメディア推進協議会で行った私の講演を聴いた方から,ネットワークの更改をするので意見を聞かせてほしいと依頼があったのだ。現在のネットワークはATM(Asynchronous Transfer Mode)とIPをベースとした大規模なものだ。

 ATMは97年から2000年によく使われた技術で,53バイト固定長のセルというパケットを使うレイヤー2の伝送技術だ。帯域幅や遅延,ジッターなどのQoS(Quality of Service)をきめ細かく制御できるためマルチメディア通信の本命と言われたが,その複雑さとハードウェア・コストの高さのため,あっという間に主役の座をイーサネットとIPに譲ってしまった。

 ネットワーク更改の話は現状のネットワークについての概要から始まり,次期ネットワークで使う技術・構成の説明へと進んだ。広域イーサネットをベースとし,最大1ギガビットの回線を使うという。筆者は説明を聞き終わると間髪入れず,先方が考えている案とはかなり違う対案を口頭で提示した。先方の案で検討不足な点は明白だったからだ。

 「現状のネットワークではこんなアプリケーションでこれだけトラフィックが流れているので,次期ネットワークでは帯域幅をこうする」が先方の考え方の骨格だ。これでは,大きな投資をしてネットワークを更改しても「後悔」することになる。現状から出発するのではなく,将来から考えなければならない。

 新しいネットワークやシステムを企画するときの基本的考え方は,将来の理想像を描き,現状からその理想像に至る移行方法を考えることだ。理想像を描くにはユーザーの内部環境と外部環境にかかわる情報を分析せねばならない。内部環境とはニーズだ。次期ネットワークの目的を明確にし,現在使っているアプリケーションに加えて将来どんなアプリケーションが必要になるのか,そのためにネットワークに必要な帯域幅や機能が何かを明らかにする。

 外部環境の分析とはユーザーには左右できない技術進歩や通信事業者によるサービスが将来どうなるか予測し,新しいネットワークが容易に陳腐化しないように取り込むことだ。大規模なネットワークのライフサイクルは普通4,5年で考える。これから作るネットワークは2010年くらいに次の更改時期を迎えることになる。次期ネットワークの企画・設計をするには,2010年ごろのネットワーク環境がどうなっているか予測した上で,理想形を考えなければならない。

 2010年はNTTが光ファイバーで3000万ユーザーを目指している年であり,第4世代携帯電話のサービスも予定されている。家庭で使う光ファイバーも,携帯電話もギガビットの帯域幅が当たり前になるのだ。さらにワイヤレスの世界は多様化・広帯域化が進展し,モバイルやRFIDの利用が促進される。

 筆者が示した対案のポイントは三つある。2010年時点のアプリケーション,つまり双方向映像通信を用いたコラボレーションやモバイルのアプリケーションを取り込むこと,次期ネットワークの帯域幅を想定の10倍で考えること,ワイヤレス・ネットワークを含めること,の3点だ。

 私の話を聞いた先方の4人は目をパチクリしていた。それでいいのだ。自分たちとは全く違う観点で,全然違う対案を出された。コントラストのある案が示されたのだ。似通った案が提示されたり,自分たちの案が肯定されたのでは筆者がわざわざ神戸まで来てアドバイスする意味がない。考えてみれば「対案」という言葉はコントラストがあるから「対」という字を使うのだろう。対案を示された皆さんがどのように検討を進めるのか楽しみだ。

ThinとFat

 9月16日,情報化研究会のコアメンバー11人が集まった。そこでの話題の一つがThinとFatだ。最近,セキュリティを強化するためパソコンにディスクを持たせないシンクライアント(Thin Client)が数年ぶりに話題になっている。CPUの高速化・低価格化,ディスクの大容量化・低価格化がパソコンの進歩であり,私たちはその恩恵に浴してきた。シンクライアントはそれに逆行するのだが,セキュリティの脅威には替えられないと導入する企業が現れている。

 一方で携帯電話端末はFat化をどんどん進めている。今や携帯電話は電話ではない。総務省の統計によれば平成11年から15年までの携帯電話1端末当たりの1年間の通話時間はほぼ23時間で変わっていない。1日平均だと4分弱にすぎない。ケータイは電話ではなく,メールやインターネットを使った各種サービスの端末として使われる時間の方が長いのだ。それは電車の中や街角でケータイを使っている人を見ても納得がいくだろう。最近ドコモが出荷したM1000という端末は大きなディスプレイとフルブラウザが搭載され,無線LANを介してWeb化された企業の情報システムの端末として使うことができる。

 さらにケータイには音楽プレーヤーやICカードを使ったデジタルマネーの機能も付加され,電話帳や発着信されたメールなどの個人情報がふんだんに蓄積されている。そのため各種のパスワードや遠隔ロック機能で,情報保護や不正操作の防止を可能にしている。

 端末はディスクレス・パソコンのようにThinであるべきか,ケータイのようにFatであるべきか,これもコントラストのある対案だ。頭のよさそうなITコンサルタントにThinとFatとどちらがいいかと質問すると,「それはケース・バイ・ケースなので一概に言えません」と不鮮明な答え方をするだろう。黒白をはっきりさせない,奥ゆかしい答え方をすると賢そうに見えるものだ。筆者は違う。「Fatであるべきです」と答える。

 なぜならシンクライアントは,技術進歩の成果を生かすことを否定するものだからだ。セキュリティ対策のためにディスクレスにするのは過剰反応だ。ケータイがそうであるように,小型化,高性能化,低価格化が進むCPUやメモリのメリットを享受しながら,セキュリティ機能を充実したり,運用上のセキュリティ対策を講じることが技術進歩を生かす王道ではないだろうか。

 筆者は次世代ネットワークではP2P(ピア・ツー・ピア)が花開くと思っている。ネットワークは豊富な帯域幅,ルーティング,QoS,ネットワーク・レベルのセキュリティといった基本サービスを提供するが,後はFatな端末が映像や音声を使った多様で高度なコミュニケーションとアプリケーションを実現する。

三たび神戸へ

 9月27日,また神戸へ行くことになった。ネットワーク更改を検討している方と2回目の打合せをするためだ。先日の神戸行きと今回との間に衆議院選挙があり,周知のように自民党の大勝利となった。民主党の敗因がコントラストのある対案を提示できなかったことであるのは明らかだ。「郵政民営化」「改革を止めるな」という分かりやすい自民党のメッセージに対して,民主党のメッセージは明瞭さがなかった。

 今回の神戸での打ち合わせでは,筆者から将来の理想形を簡単な絵にして提示する。議論をより具体化するためだ。神戸の方々とのディスカッションを通じてさらに良いアイデアを生み出し,今までにないネットワークを作りたいものだ。

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松田 次博情報化研究会主宰。1984年より,情報通信に携わる人の勉強と交流を目的とした情報化研究会を主宰。近著に,本コラム30回分をまとめるとともに,企業ネットワーク設計手法について新たに書き下ろした『ネットワークエンジニアの心得帳』がある。NTTデータ勤務。趣味は,読書(エッセイ主体)と旅行。