思わぬことが思わぬところで起きるのが歴史の妙、と言ってしまえばそれまでだが、何とも絶妙のタイミングで起きてくれたものである。

 ライブドアの証券取引法違反や粉飾疑惑、これを受けての東京証券取引所の一時機能停止は、景気回復ムード溢れる浮かれニッポンのお屠蘇気分を吹き飛ばすのに十分だった。ライブドアの違法性は今後の捜査を待つとして、東証の機能停止は許されない。取引のできない取引所は水のないプールと同じで、存在理由を失う。日本の資本市場にまだ企業倫理、ルール、システムの「3つの未熟」が残っていると知らしめたのが、今回の事件の本質だ。

 ライブドアへの強制捜査に一時市場は狼狽したが、日本経済にとってはその最も弱い部分を一刻も早く補正する警鐘ととらえる必要こそあれ、狼狽する理由は何もない。日本経済の立ち位置が今、どこにあるのか、それをまず見てみよう。

 35年の成長期と失われた10年の停滞期、そして5年の調整期——。これが2005年まで「50年のあらまし」である。起点を1955年にとるのは、戦後10年の復興を経て政治の55年体制が確立、自立的な政策国家への歩みを始めたのがこの年だったからだ。

 歴史的節目などと言う言葉は滅多にないという意味で本来、軽々しく使うべきではない。しかし2005年まで半世紀の時の流れを1つのまとまりと考えると、2006年を新たな時代の始まりとする見方はある納得性を持つ。我々はこれから新たな成長の歩みを始められるのだろうか。失われた10年に照らせば、2006年を起点に「黄金の10年」を迎えることができるのだろうか。

 その可能性は大きい。実際、日本経済は2005年、新たな成長に向かうための「2つの安定」を得た。1つはバブル崩壊後一貫して停滞の元凶となってきた金融機関の不良債権処理が終結した。大手銀行の不良債権比率は2005年3月期に2.9%と、政府が金融再生プログラムを打ち出した2002年から半減、2006年3月期は1%台まで下がるのは確実で、収益が急回復している大手行は一斉に余力を公的資金の返済に振り向ける。

 もう1つは政治的安定である。小泉自民党が圧勝した2005年9月の総選挙。与党絶対多数の結果には行き過ぎの感もあるが、世界的には日本の政治的安定を際立たせる結果となった。日本人は政治の安定はあって当たり前と考えがちだがこれは大きな誤りだ。世界各国が政治の安定を得るためにどれほどの労力と犠牲を払っていることか。今年も世界を見渡せば中間選挙を控えた米国がイラク問題など政治の不安定化懸念を抱え、欧州連合(EU)憲法の批准に失敗した欧州でも大連立を余儀なくされたドイツ新政権の脆弱さ、暴動拡大で一時非常事態宣言を出したフランスの混乱と、G7メンバーの中で今、日本の政治的安定が突出している。

 こうした中で2006年、日本の経済界は1つの金字塔を見ることになる。トヨタ自動車の世界生産は2006年に前年から12%程度増えて830万台程度になる見通し。これにグループのダイハツ工業、日野自動車を加えると920万台を上回るのは確実で、極端な販売不振から工場閉鎖を余儀なくされているゼネラル・モーターズ(2005年の予想世界生産台数912万台)を抜きトヨタグループが「自動車世界1」の座を奪取する公算が大きい。

 これは文字通り歴史的出来事となる。産業革命からおよそ、ひと世紀をかけて英国が機械の大量生産を確立したのが19世紀半ば。その技術蓄積をもとに半世紀後の1908年に米フォードモーターが「T型フォード」で始めたのが自動車の大量生産だった。それからまたひと世紀を経て、いよいよ日本が世界の自動車産業を牽引する時代が来る。実際、今の自動車産業を見渡すとトヨタに日産自動車、ホンダを加えた「日本車ビッグ・スリー」の競争力は際立っている。こと自動車だけをとらえると、「黄金の10年」は不動のように思われる。

 気になるのは製造大国ニッポンの復権で自動車と並び機関車役となるべき電機産業の復調遅れだ。

 ニッポン電機の凋落はよく韓国サムスン電子の躍進と比較される。2004年度の11社の売上高合計は約50兆円。ところが純利益になると11社を合計しても3854億円しかなくサムスン1社の3分の1強に過ぎない。国内競争の消耗戦に終始してきたからだ。絶好調の自動車を筆頭に鉄鋼、化学、工作機械など製造業の多くのセクターが今年も好調を持続する見通しだが、電機の復活がなければモノ作りニッポンの黄金の10年はやってこない。電機業界では年明け早々、松下電器産業とシャープが薄型テレビ分野で1800−2000億円の新規国内生産投資を発表するなど、サムスンの巨額投資に触発される形で投資競争が活発になっている。投資競争の消耗戦は勝者と敗者の区分けをよりはっきりさせる。2006年はこれまで半導体などにとどまってきた事業統合の動きが他の製品分野に広がるだけでなく、M&A(企業の合併・買収)を含めた本格的な再編劇が起きる可能性が高い。

 企業の投資競争は足下の景気にプラスに働く。電機を軸にする民間部門の旺盛な設備投資と輸出、堅調な個人消費に支えられ国内景気が2006年、基本的に拡大基調を保つことは間違いない。上場企業の2006年3月期の業績は増収増益のテンポこそ鈍るものの4期連続の増益を達成する見通しで、株価もライブドアショックを当面引きずる懸念はあるものの、基本的に年内の日経平均1万7千円超えをにらんで強含みで推移しそうだ。

 以上を総合すると日本経済は2006年度にGDP(国内総生産)で名目2%以上の成長率(2005年度の予想名目成長率1.6%)を達成する力が備わりつつある。2%という数字は50年の成長・停滞・調整期を経た成熟国家の成長率としてはかなり居心地のいい数値だ。小泉政権の中枢にいる竹中平蔵氏はこんな指摘をする。「年率2%成長というのは実は20世紀の米国経済の成長率と同じ水準。成熟した社会としては決して低い数字ではないし、仮にそれが35年続けば経済規模は倍になるのだから」。

 日本経済2006年の見所は煎じ詰めれば「トヨタの世界1」と「名目2%成長」。前者は自動車が裾野の広い総合産業という意味で産業経済の総合力を示し、後者は国民経済の今の実力を示す。

 金融、政治の2つの安定を土台に日本経済が「黄金の10年」への歩みを始められるかどうか。2006年、我々が「世界1」と「2%」の2つの風景を目撃できるかがまず、ポイントとなる。ライブドアショックはブラックマンデーや過去の株価大暴落とは異質なものであり、それに必要以上に目を惑わされてはならない。