本連載では「顧客に価値を認められる提案」とはどんな提案か、を具体的なケースを交えながら解説していく。最も重要な点は、仮説検証型の提案スタイルを推進することだ。そのために必要となる提案者の意識の持ち方や提案活動の手順、提案書作成のポイントを伝授していく。

(小野 泰稔=コンサルティング・フェア・ブレイン代表取締役)



図1●A社とB社の提案書の比較

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 私どもがコンサルティング支援をさせていただいているC社を訪問したときのことである。私がたまたま経理部の前を通りかかると、経理部長が2冊の提案書を持ちながら近づいて来て、「小野さん、この提案書、どう思います?」と話しかけてきた。それは、ERP(統合基幹業務システム)導入に関する提案書であった。このときの私どもの支援内容とは無関係なテーマではあったが、経理部長の悩んでいる表情を見て、2冊の提案書に目を通してみることにした(図1)。

 C社は最近、外資系企業に買収され、本国と同じERPパッケージを速やかに導入することを求められていた。当然、今まで苦労して構築してきた情報システムが存在し、十分に機能している。社内では、なぜ現行のシステムを捨てて、業務に合うとも思えないパッケージに切り替えなければならないのか、ほとんどだれも納得していない状況であった。しかし、本国から出された方針には逆らえず、複数のソリューションプロバイダに提案を依頼していたのである。経理部長から差し出された2冊の提案書を見てみると、あまりにも提案の質が違うのに驚かされた。特に目を引いたのは次の2点である。

(1)ERP導入の目的についての記述
 A社:ごく一般的に言われているERP導入の目的が、個条書きで記述されている。既にERPを導入することはもちろん、パッケージまで決められていることから、C社にとってのERPを導入することの意味や目的を真面目に考えなかったような印象を受ける。

 B社:今まで国内だけで活動してきたC社が、グローバル企業のグループの一員になったことの意味から、そのグループの中でERPを導入することの重要性をグループ経営の視点から整理している。まさに今、社内で沸騰している何のために現行システムを捨ててERPを導入しなければならないのか、という議論に一石を投じる内容になっていた。

(2)実施計画に関する記述
 A社:計画については、汎用的で大まかなフェーズの説明と標準的な進め方が記述されているだけで、具体的にどう進めるかは「今後の検討」になっている。

 B社:大まかなフェーズの説明に加え、直近のフェーズのアウトプットのイメージや顧客との役割の切り分けなどが具体的に記述されている。このように進めさせてほしいというB社の「思い」が提案書から伝わってくる。

顧客の立場になってとことん考えているか

 A社とB社の提案をこれほど違うものにした原因は、どこにあったのだろう。実はA社は長年C社と取引があり、提案のために入手できる情報はA社のほうが質・量ともに圧倒的に有利であったはずなのである。しかしA社の提案書は、他社向けの提案書をコピーして使い回したものという印象をどうしてもぬぐえない。主語をC社と考えたとき、重要な個所で意味が分からない記述が多いからである。逆に、B社の提案書が顧客に価値を認められた大きな理由は、次の2つの違いによると考えられる。

 第1の違いは、顧客の立場になってとことん考えているかどうかである。特に、経営課題に直結するようなIT提案では、経営者の高い視点から十分に考察することが大切になる。B社の提案では、C社の経営だけにとどまらずグローバルなグループ経営という非常に高い視点からERPの導入をとらえている。外資系企業に買収された状況を考えれば、顧客が大きな混乱の中にあることは容易に想像がつく。このような状況下では、ERP導入の根本的な意義、目的を説き明かすことが、今の顧客にとって最も重要なこととB社は考えたに違いない。ERPを導入するという顧客の方針をそのまま受けて、その方針ありきで提案しているA社との決定的な違いがある。

 第2の違いは、B社のほうがより早く具体的な姿を顧客に提示していることである。C社内でまだ整理し切れていなかったERP導入の意味を、B社は仮説の範囲ではあるものの具体的に提示したのである。さらに計画については、この時点で最善と考えられる進め方を、顧客に具体的なイメージがわくように提案してきている。「具体的な進め方は今後検討」としているA社と比べて、圧倒的な安心感と現実味を感じさせるものであった。

「仮説」の有無で提案書の良しあしが決まる

図2●仮説を立てることの意味

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 こうしてみると、2つの提案書の違いを決定付ける大きな要因に、「仮説」の存在があることに気付く。B社の提案書には顧客自身がまだ、ばく然としていて明確に見えないことを一歩早く具体化し、事態を前に進めようとする迫力がある。この原動力になるのが「仮説」の存在である(図2)。

 最近では、いろいろな分野で「仮説検証」という言葉が使われるようになっているが、IT提案においても例外ではない。決して新しい考え方ではなく、仮説を立てることの重要性は多くの人に認識されている。

 しかし、ここで改めて「仮説を立てること」の意味を考えてみたい。仮説を立てるということは、「混沌とした状況を打開するために、よく分からないことを具体的な姿として描いてみること」である。描いた姿が正しいか間違えているかは、あまり問題ではない。具体的な姿を描いてみることで、顧客と意味のある議論ができることが重要なのである。描いた姿を見ながら、ここは違う、そこは合っていると話すことだけでも本来の姿に確実に近づくことができる。

 その意味で、仮説は具体的であるほど意味があり、顧客の思いを明確に引き出せる。提案者が仮説を持つことで、顧客を一歩リードしながら提案活動を行うことも可能になる。例えば、顧客からのヒアリングの場面1つでも、仮説があるからこそ次につながる意味のあるヒアリングを組み立てられるのである。仮説なしで臨んだヒアリングでは、たまたま顧客から聞けたことしか聞けないし、その範囲での提案にとどまってしまう。

仮説検証型の提案スタイルが求められる

 しかし、そうは分かっていても、実際の提案活動でしっかりした仮説に基づいた提案を行うことは、意外と難しい。多くの提案者は、どうしても顧客から言われたことにそのまま応えてしまい、仮説を立てるべきタイミングさえも見失ってしまうことが多い。「本国の指示でERPを導入することになった」と顧客から言われれば、方針が決まったことを前提に提案を始めればよいと考えてしまい、顧客にとってERPを導入することの本当の意味までは考えないのが普通ではないだろうか。しかし、それでは競合他社からしっかりした仮説に基づいた提案がなされた時点で、大きな脅威にさらされてしまう。経営課題に直結するIT提案においては、なおさらである。

 本連載では、仮説検証型の提案スタイルを通して「顧客に価値を認められる提案」とはどんな提案かを考えていく。そのため次回からは事例を中心に話を進めることにする。顧客との会話やその時の状況・雰囲気などを忠実に再現してみたい。それぞれの場面で提案者が何を考え、どのように仮説を立てて提案活動を進めたかを通して、提案のあり方を皆様も一緒に考えていただければ幸いである。

 事例は詳しく記述したいため、2つの提案事例をそれぞれ6回と4回に分けて記述する(図3)。最初の6回は食品通信販売会社「ヘルシー食品株式会社(仮名)」、後の4回は印刷広告会社「ときわ印刷株式会社(仮名)」を予定している。お客様に分かりやすく伝えるための提案書作成上のポイントも、併せて解説していく。

著者プロフィール
情報サービス会社でシステム構築の一連の業務に携わった後、トーマツ コンサルティングのマネジャーのほか、社団法人・日本能率協会の専任講師も務める。IT戦略、システム化計画、システム開発方法論のカスタマイズ・提供など、ITを中心としたコンサルティングと人材育成を行っている。現在はコンサルティング・フェア・ブレイン代表取締役