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 5月20日金曜日,研究会の古い仲間3人が銀座2丁目のワイン・レストランに集まった。筆者以外の2人を仮に山田さんと森さんとしておこう。もともとワイン通の山田さんに紹介してもらった店で,ローヌを中心にワインの品揃えが豊富かつ凝っているのが特徴だ。

 3階建ての店だがこぢんまりしている。各階とも20人程度の席しかない。CAVE1,CAVE2と名前がつけられた,小さな店にしては広いワインセラーが2階にあり,透明なガラスドアの向こうの薄暗い“ほら穴”に,ゆうに1000本は超えるワインが積まれている。筆者が特に気に入っているのは3階の席だ。テーブルが1列とカウンターしかなく,落ち着ける。窓際のテーブルに座って見上げるとそこには星空。天井がガラス張りなのだ。

 山田さんにローヌの白と赤を1本ずつ選んでもらい,おいしいワインと料理,とりとめのない話を4時間あまり楽しんだ。ただ,一つだけ真面目な話をした。10年後のネットワークがどうなるか,という話だ。

10年後のネットワーク

 実はこのテーマはお客様からもらった大きな宿題だ。1カ月ほど前に,中期経営計画に盛り込むため,ネットワークについて提案を求められた。中期計画は2006年から2008年までの3年だが,ネットワーク担当の方とディスカッションするなかで10年後のネットワーク像も経営に答申せねばならないと聞いた。聞いた直後の数秒間は,あっけに取られた。3年後のことだって分からないのに,10年後なんてとんでもないと思ったのだ。しかし,次の瞬間,「それは面白いテーマですね。是非,検討させてください」と言っていた。

 このコラムや著作で繰り返し書いているが,筆者がネットワーク設計をするときのポリシーで大切なものの一つとしているのがライフサイクル・ポリシーだ。設計・構築するネットワークを,何カ月で更改するかを計画することだ。基本は「技術やサービスの変化が速い現在はなるべく短期間,最大でも36カ月程度で更改できるように計画すること」。変化の速いなかでネットワークやシステムを企画するのは,距離が長く曲がったゴルフコースを攻略するのと同じで,計画期間を見通せる範囲で短く刻むことで陳腐化リスクを軽減できる。

 そんなポリシーを持つ筆者が「10年後のネットワークを検討します」と言ったのは,正確な予想が困難なのは明白だが,10年後を予想することで近未来の3年間をより正確に予測できると思ったからだ。何よりテーマが大きくて楽しい。10年後を考えるにはふだん読まないさまざまな資料や本に目を通し,ネットワークに限らない周辺情報を広く集めて想像力を働かせる必要がある。こんな楽しい勉強はない。

ポジティブ・ネットワークへ

 研究会の仲間と会う3日前に,お客様に中間レポートを説明した。メインの資料は「ポジティブ・ネットワークへのトレンド」と名付けた企業ネットワークのトレンドを表す図だ。筆者の著作や講演の冒頭には必ずトレンド図がある。各論に入る前に技術の進化やサービス動向を自分がどうとらえ,そのなかで本論がどう位置付けられるかを理解していただくためだ。

 ただ,今回の図がいつもと違うのは横軸が10年間という長いレンジをカバーしていることと,縦軸の項目がいつもの「企業ニーズ,回線サービス,技術・製品」の三つではなく,「企業ニーズ(これはさらにカスタマ・ニーズとコーポレート・ニーズに分割),携帯網サービス,固定網サービス,基盤技術(ネットワークとコンピュータの双方を含む)」となっていることだ。

 個々のキーワードとしてはRFID,M2M(マシン・ツー・マシン=自動販売機の遠隔在庫管理など,機械同士の通信を対象とした携帯網の利用),Webサービス,ユーティリティなどがプロットされているが,筆者が言いたいポイントは図の表題そのものに表れている。

 ポジティブ・ネットワークへのトレンド,つまり10年後のネットワークはポジティブ・ネットワークを目指しましょう,ということだ。これまでの企業ネットワークの目的は通信コストや設備コストの削減が主なものであり,売り上げ向上に直接寄与することが目的ではなかった。

 これからはポジティブに,売り上げを増加させるためのネットワーク作りをしましょう,というのが中間レポートの趣旨だ。そのためには社内に閉じたネットワークではなく,顧客へのサービスや商品販売のチャネルとなるカスタマ・ネットワークが欠かせない。

 カスタマ・ネットワークで筆者が実用間近な技術として注目しているのが日本語意味理解技術だ。この技術を使うことで顧客にとって使いやすいサービスが提供可能になるだけでなく,顧客からの情報をマーケティングや製品開発に効果的にフィードバックできる。例えば次世代コールセンターでは,「買ったばかりのテレビの画質が悪いんだけどどうなっているの」というと,すぐテレビの故障を扱うオペレータに電話が転送される。

 何度も音声ガイダンスにしたがってプッシュホンを押す煩わしさがない。日本語意味理解技術は音声を認識してテキスト化し,知識・辞書データベースに基づいて概念や感情を人と同じように判別する。「故障」という言葉が入っていなくても「テレビ,画質,悪い」という言葉の関係性から故障のクレームだと判定できる。

 さらに,顧客とオペレータの会話をテキスト化して蓄積し,自動的に要約したり,クレームや商品ニーズの分析,オペレータの評価などに活用可能だ。今後,カスタマ・ネットワークが進展すると膨大なテキスト情報が発生する。ネットワークに意味理解というインテリジェンスが加わることで,その情報をビジネスに生かすチャンスが広がるだろう。

2010年の意味

 10年先まで見通した計画を作るのは大変だが,節目をどこかに定めると考えやすくなる。筆者は5年後,2010年を大きなエポックと考えた。2010年はNTTが光ファイバーのユーザー数3000万を目標にしている年であり,第4世代携帯電話のサービスが始まる年でもある。固定電話のIP化は大きく進み,第4世代携帯電話はフルIP化されSIP(Session Initiation Protocol:IP電話網用の呼設定プロトコル)で制御される。固定と携帯のサービスはシームレスに一体化され,FMC(Fixed Mobile Convergence)が実現されるだろう。

 大きな節目である2010年に向かって企業ネットワークをどう持っていくかが10年間のライフサイクルを考える上でのポイントになる。ちょっと考えてもエポックを目前にした2008年や2009年に根本的なネットワークの更改をするのが得策でないことは分かる。中間レポートで大きなストーリーはできた。これを具体的な提案,つまり構成や費用まで含めた提案にブレークダウンすることが今の課題だ。

10年後を考える楽しさと苦しさ

 山田さん,森さんとの会話で出てきたキーワードは「オープンからクローズドへ」だ。ネットワークはIP化によって,つながりやすくなり過ぎた。その結果,セキュリティが大きな問題になっている。「オープンからクローズドへ」の意味は,これからは限られたユーザーしか接続することができないクローズドなネットワークがたくさん作られるようになるだろう,という予想だ。会員から紹介されないと参加できないソーシャル・ネットワークは一つの例だ。

 メールアドレスも個人用は隠ぺいし,会社ではオフィスの代表アドレスを使う,といった使い方が出てくる。携帯電話の番号を特定の信用できる人にしか教えないように,個人のメールアドレスも特定の人には教えるが,そうでない人には別のアドレスを開示する。筆者は企業ネットワーク自体の構造もクローズド・ネットワークの集まりになると予想している。

 このように10年後のネットワークを考えるのは筆者にとってはとても楽しい。それは目先の売上高や利益などのノルマを考慮に入れる必要もなく,純粋に勉強として楽しめるからだ。

 10年後のワインの味を想像するのも楽しい。山田さんによれば,ローヌのワインはシラーというブドウが使われている。ボルドーでよく使われるカベルネ・ソ−ヴィニヨンよりさらに重く,熟成に時間がかかるという。

 10年後を考えるのが苦しいテーマもある。山田さんがふと聞いた。「森さんの会社の10年後ってどうなってるんだろうね」。出版業界の森さんにとって結構重いテーマだ。もっと重いのは「10年後の自分」だろう。楽しいテーマではないが真剣に考えねばと思った。

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松田 次博情報化研究会主宰。1984年より,情報通信に携わる人の勉強と交流を目的とした情報化研究会を主宰。近著に,本コラム30回分をまとめるとともに,企業ネットワーク設計手法について新たに書き下ろした『ネットワークエンジニアの心得帳』がある。NTTデータ勤務。趣味は,読書(エッセイ主体)と旅行。