米国でのコールセンター。家電製品のチェーンストア、ラジオシャック社(右)とレンタカーサービスのハーツ社(上)。日本での光景とは異なる?
米国でのコールセンター。家電製品のチェーンストア、ラジオシャック社(右)とレンタカーサービスのハーツ社(上)。日本での光景とは異なる?
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インターネットが販路となるには?

 インターネットが販路となるには、いくつか条件がある。アマゾンの例でいえば、検索できる(探す)利便性である。出版された書籍はすべて探せる。あるかないか分からない書店の書棚の前をウロウロすることに比べれば比較にならない。購入した書籍の重さを我慢して持ち帰ることもない。

 これを書店(既存の販路)とアマゾンとの対比(競争、競合)という視点で考察すると容易に理解できる。既存の販路にはないサービスとか利便性がアマゾンにあるからそこ(インターネット)へ行く。製品そのものではなく、販売方法での付加価値が問題なのだ。ただ、その付加価値を積極的に評価するのは一群の顧客(セグメント)で、すべてではない。

 贈り物をする習慣が多い米国で、クリスマス・シーズンにインターネット・ショップに大量の贈り物注文が寄せられるのは、製品そのものの特長にあるのではなくて、ギフトラッピングや配送、注文の仕方などに贈り主が便利だと評価するからだ。自分で、最寄りの商店で品物を購入して、それを荷造りして、郵便局に持っていって、と思い描くとその違いはよく分かる。しかも、一度に多数の贈り物をする際の行動を顧みるともっとよく分かる。

 似たようなことは、郵便局のサービスでもいえる。郵便物を出そうとすると、そもそも郵便物を作って、切手を売っている場所を探して切手を買い、それで郵便物を投函する。ところが、あるところにインターネット経由で頼む(文面と宛先のファイルを電子メールで送る)と、印刷・封をして切手を張って郵便物を投函してくれる。ただ、このサービス、日本にはない。セールス・レターを書くという習慣がある国のビジネスだ。

 Frances Cairncrossが著した「The Death of Distance」に詳しく述べられているが、移動に伴う時間距離の壊失をもたらすインターネットが普及することによって、

◎獲得が困難だった新たな顧客を獲得する
◎既存の販路に不満があった顧客を収奪する
という現象を引き起こすことができる。そこでは、インターネットの機能性を特長とした付加価値の付与ということが条件だ、とも。

コミュニケーション・ミックスとしての評価

 マーケティング・コミュニケーションは常にミックス(組み合わせ)とインタラクティブ(相互作用)を意識している。ミックスとは、コミュニケーション・メディア(媒体)の組み合わせである。かつては、マス広告、ダイレクト・メール(郵便)、電話と考えられていた。現在は、媒体をより細分化して、相互作用を評価しながらマーケティング・コミュニケーションを計画し実行するようになっている。この連載の第3回でも紹介したように媒体は多数ある。そのなかで、インターネットが基盤となっている媒体は、従前から存在する媒体の代替媒体という様相である。

 例えば、電子メールというのはダイレクト・メールやファクシミリ・メッセージングの代替と考えられるし、ホームページはカタログやマス広告の代替と考えられる。ただ、これらの新しい媒体が従前からある媒体をしのいで完全な代替という存在になるには、インタラクティブ性をどのように確保するのかという制作と技術の課題(ブレーク・スルー)がある。

 その種の調査研究はあまり行われていないが、次の対比は象徴的だろう。

 米国のGE(ゼネラル・エレクトリック)社のホームページの1つにGEアンサー・センターがある。提供しているサービスの内容は、電話による場合もホームページによる場合も、全く同じである。家電製品のトラブル・シューティングで、修理が必要だと判断される場合に、交換部品と取り替え方法のインストラクション(説明)だけを注文するというオプションの選択まで、電話での対応と同じだ。顧客の文化が違うといってしまえばそれまでだが、日本ではこのような保守・補修サービスの提供を経験できない。

 つまり、電話サービスがあったとして、インターネットに存在するホームページを探し出して参照すると、結局、電話サービスに連絡しなければならないということで、代替にならない。そもそもの媒体でのインタラクティブということが意識されていないからということ以外に、代替にならないということの積極的な理由が思い浮かばない。

日本型携帯電話というメディア

 様々な空間で携帯電話という特異なメディアの利用形態を観察する機会がある。マーケティングでは顧客の属性(プロフィール)を考察する際にメディア・プリファレンス(媒体の依存度合い)ということをかなり意識する。簡単な例では、新聞は、日経を読むか、朝日か、産経か、それとも読売か、という具合である。それらを媒体と考えて、そこにメッセージを出稿する場合に、どのような属性の人々に到達するかを考えるからと、それぞれの新聞を愛読するというのは製品やサービスへの関心内容が異なることが知られているからである。そこで、携帯電話をそのような媒体の1つとして採用すると、かなり扱いにくい媒体であることが容易に知れる。

 例えば、通信販売の会社が携帯電話のSMS(ショート・メッセージング・サービス)を使っての注文を可能にすると、いくつか問題が生じる。1つは、個別に対応しなければならないメッセージの量が急激に増えて、運営コストに影響が出る。2つには、返品率が上昇して、粗利益に影響が出る。これは、携帯電話による注文者(顧客)の属性を丁寧に調べてみれば、容易に分かる。電話、ファクス、あるいはインターネットのホームページから注文する顧客と比べて、衝動的に買い物をする比率が高いのだ。

 さらに、携帯電話の高頻度利用者、依存者にはいくつもの特異な行動特性が存在することが知られ始めている。媒体選択としては、過度の評価と依存は差し控えるべきだと考えている。

連載の終わりに

 筆者は、これまで常にマーケティングの側から情報通信システムを考察してきた。決して情報通信システムの側からマーケティングを考えるということはなかった。そうしないと、情報通信システムの役割とか実現し提供しなければならない機能が過大評価されて、活用して成果を得るという目的が失われてしまう危険がある。ERP(統合基幹業務)にしても、SCM(サプライチェーン・マネジメント)、CRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)、あるいはコンタクト・センターであっても、それらを入手することは目的ではない。あればできるという説明は、あってもできないとほぼ同義だと銘ずべきだ。何かを実現するのは情報通信システムではなくて、組織や人の活動によってである。

(この議論の続きは、筆者のブログで)

多田 正行(ただ まさゆき)氏:1947年生まれ。ロッテリア、チーズブロー・ポンズ・ジャパン・リミティッド、日本タッパウェアなどでシステム企画に携わった後、93年に独立。現在「eCRM塾」主宰。著書に「売れるしくみづくり」(ダイヤモンド社)、「コールセンター・マネジメント入門」(悠々社)、「コトラーのマーケティング戦略」(PHP研究所)など。「ITpro Watcher」で「CRM Watchdog」を連載中。