写真1●OSASK
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写真2●OSASK計画のメンバー
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写真3●Mona OSとその上で動作するGUI環境「BayGUI」
写真3●Mona OSとその上で動作するGUI環境「BayGUI」
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写真4●MonaProjectTeamのメンバー
写真4●MonaProjectTeamのメンバー
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 かつてパソコンが登場した頃,パソコンを学ぶことはプログラミングを学ぶことだった。ソフトウエアの主な流通形態は,雑誌に掲載されたBASICのソースコードだった。ユーザーはそれを打ち込みながらソフトウエアの書き方を覚え,自分のプログラムを作った。使い手は限りなく作り手に近かった。

 だがパソコンが普及するにつれて,ソフトウエアは「自分で作るもの」ではなく「買ってくるもの」になった。これによってコンピュータ市場は拡大した。しかし反面「ソフトウエアを作る人口」の比率は激減していった。

 オープンソースはそんな日本のIT産業の現状に一石を投じた。特定の企業に依存せず,グローバルに進められる開発プロジェクトは,従来の枠組みを大きく変えるパワーを持っている。そんな中でも「日本のオープンソース開発者が少ない」と言われる。確かにメジャーなオープンソースソフトウエアの開発者には欧米人が多く,日本人開発者は相対的に少ない。

 しかし,そんな状況が変化する兆しも見えている。

 9月に開催されたイベント「オープンソースカンファレンス2005 Tokyo/Fall」(以下OSC,関連記事)にはオープンソース関連のグループが全部で35団体参加した。そのうち日本人が開発の中心にいると考えられるソフトウエアはおよそ10団体。3割が日本人主導というのは,高い比率と言えるのではないだろうか。その他のグループについても日本人がコアの開発に参加していたり,ローカライズで貢献しているなど,全体として開発アクティビティの高いグループが集まった。

 その中にはなんと,日本人が中心になって,コンピュータの中核であるOSを開発しているグループが2つもあった。「OSASK計画」と「Mona OS」である。

「早くて小さい,かっこいいOSを作りたい」---OSASK計画

 OSASK計画の開発するOS「OSASK」(おさすく)は,川合秀実氏が中心になって開発しているOSだ。特徴は非常にコンパクトなこと。日本語フォントや変換辞書,アプリケーションもついたLHA圧縮されたフルセットで500KB弱。フロッピー・ディスクやコンパクト・フラッシュでも動作させることができる。この小ささにも関わらず,きちんとGUIも備えている。

 川合氏はOSASKの開発で,IPAの平成14年度未踏ソフトウェア開発創造事業「未踏ユース」にも採択されている。

 当初は川合氏一人で開発していたこともあってオープンソースではなかったのだが,現在は「川合堂ライセンス-01 ver.1.0」に基づき配布され,ソースコードも公開されている。

 「元々自分がほしいOSを開発していたので,ソースコードをオープンにするつもりは特にありませんでした。しかしOSASKを公開した後,機能追加のリクエストが多くて,『だったら一緒に開発してくれ』ということでソースコードを公開するようになりました」(川合秀実氏)

 OSASKの川合堂ライセンスにはこんな文面がある。「このライセンスが適用されるソフトウエアの一部または全部を基にして作成されたソフトウエア(以降,派生物と称する)に対し,どんなライセンスを付与してもよい。すなわち,派生物がコピー禁止であってもよいし,派生物が有償でしか配布されなくても構わない。もちろん無償であってもよい。派生物に対する著作権は,派生物を生成した者に帰し,このライセンスが適用されるソフトウエアの著作者が派生物に対して著作権を主張することはない」

 GPLやBSDライセンスなどに比べると随分と過激なライセンス形態だが,反面,川合氏の考え方がよく出ている。「自分のほしいものを作るのは自由」というところだろうか。

 オープンソースという形にこだわったわけではない。ただ,一緒に開発してくれる人がいたからソースコードを公開した。むしろこれがオープンソースの原点と言えるかもしれない。

OSASK計画には中学生や高校生も参加

 OSASK計画にかかわっているメンバーには若い人が多い。若さも半端ではなく,中学生や高校生もいるとのことだ。実際OSCの会場では高校生の開発者であるあっきぃ氏がはるばる北海道から参加していたほか,大学生のくーみん氏,高校生のうっちゃん氏も会場に足を運んでいた。

 思い起こしてみれば,筆者が初めてコンピュータ(当時は「マイコン」と呼んでいた)に触れたのは小学生の時で,コンピュータの基本的なことは中学生ぐらいで覚えた記憶がある。今では小学生がコンピュータに触れるのは当たり前だが,ソフトウエアの開発を楽しんでいるケースはどれぐらいあるのだろうか。

 自分で作ったプログラムが動くのを見るのは,それがどんなに簡単なプログラムでも楽しいものだ。オープンソースのプロジェクトが,そのような若い才能の発掘に貢献できるという証明と言えるかもしれない。

 OSCに出展していたもう一つのオリジナルOSが「Mona OS」だ。