松下電器産業とジャストシステム間の通称「一太郎アイコン特許」訴訟は,ソフトウエア特許,しかも,ユーザー・インターフェースにかかわる特許についての訴訟である点,さらに,大企業同士がクロスライセンスなどの手段による和解に至らず,法廷で決着をつける道をとったという点において大きな注目を集めていた。

 一審では松下電器側の主張が認められ,一太郎と花子の製造・販売中止と在庫の破棄という判決が出され,産業界に衝撃を与えたのは記憶に新しい。

 松下電器の特許の内容は,簡単に言ってしまえば,あるアイコンをクリックすると次にクリックしたアイコンのヘルプ情報を表示するという,いわゆるバルーン・ヘルプの機能である。Windows OSにおいても標準機能として提供されている現在では当たり前の機能である。このような当たり前の機能が特許になり,それに基づく独占権が行使されたことは一般消費者の批判を集め,ネット・コミュニティを中心とする松下電器製品の不買運動にも発展した。

 しかし,このような考え方は特許制度を正しく理解したものとは言えない。現時点で考えて当たり前の機能であるかは関係なく,この特許の出願時点である1989年10月31日の時点で当たり前であったかどうかを判断しなければならないからだ。1989年といえば,マッキントッシュの世界でもGUIの基本機能が発展途上であった段階であり,松下特許に相当する機能が当たり前であったかと言うと必ずしもそうとも言えないだろう。

 一審では,ジャストシステム側は,JStarの仮想キーボードから起動されるバ ルーン・ヘルプ的な機能に関するマニュアルの記述を証拠として,松下特許は新 規性を欠き,明らかな無効理由があるとの主張をしていた。しかし,この機能は 仮想キーボードから起動するのに対して,松下特許はアイコンから起動するとい う点で異なる発明であると認定され,ジャストシステム側の主張は認められな かった。

 特許の権利範囲を認定する際に言葉の定義は十分な注意を払う必要があるのは当然である。単純な言葉使いの相違により特許侵害と非侵害が分かれてしまうこともある。しかし,その一方で,特許法上で発明とは「技術的思想の創作」と定義されていることを考えると,アイコンで起動しようが、仮想キーボードで起動しようが技術的思想(アイデア)としての本質は同じというのが一般的技術者としての心情であろう。

 また,GUIの世界では,アイコンのクリックにより実行できる機能をメニュー・バーやキー・ストロークでも実行できるようにすること,つまり,アイコン,メニュー・バー,キーストロークを相互置換的にするのは使いやすいユーザー・インターフェース構築の定石であり,それは1989年においても同じであったろうと個人的には考えている。ゆえに,一審の判決は特許の明細書やクレームの文言を厳密に解釈したという点では正しいかもしれないが,技術者の立場から見ると違和感があったと言える。

 今回の判決文を一部引用すると「アイコンの機能説明を表示させる手段として「機能説明表示手段」として「スクリーン/メニュー・ヘルプ」アイテムに代えて「アイコン」を採用することは,当業者が容易に相当し得ることというべきである」としている。松下特許は,一般的な技術者であれば,出願当時知られていた技術を基に容易に思いつく発明であったということだ。つまり,松下特許は新規性は満足しているかもしれないが,進歩性を満足していないため特許要件を欠き,それに基づく特許権の行使(差し止め請求,損害賠償請求)は認められないとい うことである。証拠物件は一審とは異なるが、実質的に一審の判断を覆したと言 えよう。

 改めて言うまでもないが,今回の判決はソフトウエア特許そのものの有効性を否定したものではない。逆に,過去における装置としての特許(ソフトウエアそのものに対する特許が認められなかったため装置として特許出願)によってもソフトウエアの製造・販売行為に対して間接侵害として権利行使できると判断している。つまり,新規性・進歩性などの特許要件をを満足する装置特許(実質的なソフトウエア特許)であれば,ソフトウエアの製造・販売を差し止め得るということである。

 いずれにせよ,今回の判決の結果は,技術常識が法廷の場でも適切に適用されたということで,一般技術者にとっても納得のいくものであったと言えるだろう。また,長期化しがちな知財関連の裁判で比較的早期に判決が出されたということは,本年4月から設置された知財高裁制度がうまく機能している一つの証拠と言えるだろう。

■栗原 潔(くりはら きよし)
 日本アイビーエム,ガートナージャパンを経て,2005年6月に独立系コンサルティング会社テックバイザージェイピー(TVJP)を起業。同時に弁理士としての活動も開始。知財とITコンサルティングの融合による新しい価値提案を目指す。