Webサービスへの歩み寄りで実を取る

 OGSIはWebサービスを実現している技術を基盤とするはずだった。しかしWebサービスの標準化は「OASIS(Organization for the Advancement of Structured Information Standards)」で行われている。GGFとOASISの関係を気にしつつ迎えた2004年2月。米国サンフランシスコで開催された Globus Worldにおいて,誰もがOGSIのリファレンス実装となる新Globus Toolkitの登場を待っていた。

図2●日産自動車のMagic-4面
ハンドルの回りに四つのボタンが配置されている。表示されたメニューに対応するボタンを押して操作する。階層に応じてメニューの内容は変化する。
図3●Webサービス技術を主体とするWSRF
OGSIによって実現する機能がWebサービスと共通の部分が多かったため,OGSIは記述方式などをWebサービスの仕様に合わせた。名を捨てて実を取った格好になる。

 ところが参加者を待ち受けていたのは,同僚の中田秀基氏の言葉を借りれば「ちゃぶ台返し」そのものだった。GlobusチームはOGSIの採用をやめ,「WSRF(WS-Resource Framework)」という新たなフレームワークを構想(図2[拡大表示])。Webサービスで培われた技術に立脚した枠組みでグリッドを構築することを宣言した。

 OGSIを捨ててWSRFになると,どのようなアーキテクチャに変化するのか。参加者は開発中の技術の行く末を案じたに違いない。OGSIでは,利用時にサービスそのものが毎回生成されていた。サービス自体が状態を管理する分散オブジェクト的な考え方だ。WSRFにおいては,状態を「リソース」としてサービスから分離する。複数の状態を表現する場合、OGSIではサービス自身が複数必要となるが,WSRFではサービス本体は共有されリソースのみが複製される。状態を持つサービスは,サービスへの参照(URL)とリソースのハンドラのペアで表現される。サービスを利用する際には,ハンドラによって計算の対象となるリソースを指定する。

 WSRFはOGSIのアーキテクチャ自体に大きな変更を加えたものではない。ただ状態管理や名前付けの規則などはWebサービスの内部構造に合わせた形になっている。OGSA/OGSIの登場からわずか2年。このころからGlobusチームに対する不信感が芽生え始めてきたのも事実である。誰もが,OGSA/OGSIを前提として2年間さまざまなグリッドの再設計を行ってきたのに,その努力が報われないのだから仕方がない。OGSA/OGSIに始まったグリッドとWebサービスの統合は,2年の期間を経て双方が歩み寄った規格を作ると言うよりも,むしろグリッド側がどっぷりとWebサービスに取り込まれてしまったというほうが正解だろう(図3[拡大表示])。

 どうして,デファクト・スタンダードに振り回されてしまうのだろうか。それはグリッドの価値はつながるサービスの数で決まるため,少しでも多くのサービスを提供するためには枠組みの標準化が必須だからである。

 それぞれが個別に技術を整備していけばいいではないかという考えもある。特にグリッドの黎明期から科学技術への応用を考えていたグループには,一連の動きに不快感を持つものもあった。性能と機能はトレードオフであり,機能が豊富になるほど性能面では不利となる。特にGlobus Toolkit 3.0は極めて不安定であり,また科学技術応用では利用する必然性がないものが含まれていたから,デメリットばかりが目立っていた。それでも多くの人々は,コンピュータ資源を糾合する枠組みを与えてくれる標準化作業に期待を寄せ,ある部分では我慢をしていた。その結果,今では標準化に携わる技術者の調整力によって,GGFおよびOASISでのグリッド技術の標準化は順調に進んでいる(別掲記事「グリッド標準化における日本の存在感」)。

ビジネスとの接点を持ち始めたグリッド

 標準化の枠組みがWSRFに一本化されたことで,グリッドには本格的なビジネス展開の道が開かれた。ビジネスとしての展開が先行していたWebサービスの枠組みを取り入れたからだ。

 確かに,グリッドが扱っていた「コンピュータ資源」「セキュリティ」「データ」などの枠組みは,それぞれが「計算をしてくれるサービス」「セキュリティの認証結果を返してくれるサービス」「データを預かってくれるサービス」といったWebサービスとして統一的に扱うことができる。

 この際,どこのコンピュータで実行するか,どのようなマイクロプロセッサを使っているか,どのようなアルゴリズムで計算するか,といった差異は基本的に考慮の対象ではない。ただ単に,「この入力データに対してこれこれの計算を実行して結果を返して欲しい」という要求を満足してくれるWebサービスがあればよい。これは前編でも触れたように,最初に我々がグリッドという考えに至ったシナリオそのものである。

 直接的なサービスだけではなくて背後のインフラが提供するサービスまで同一基盤で実現できる。この道筋が示されたことで,Webサービスとグリッドに投下される人・モノ・カネの分散がなくなり,グリッドの実用化に対する見通しがついた。

 例えば,ホテル予約の手配や中古自動車販売など,さまざまなサービスをエンドユーザーが直接利用できる。さらに,それらサービスを提供する企業内や企業間では,コールセンターやサプライチェーン・マネジメント,リスク・マネジメントなどのASP(Application Service Provider)サービスを利用する。それらのバックエンドとして,コンピュータ資源を提供するグリッド・サービス事業者が存在するといった形態だ


グリッド標準化における日本の存在感

 国際的な標準化が進むグリッドだが,日本の存在感はかなりのものと自負している。GGFは,2001年3月に米国の「Grid Forum」,欧州における「European Grid Forum」,アジア太平洋地域の「ApGrid」などの活動を統一して,国際的な標準化の舞台を設定した。

 この結成当初から,早稲田大学の村岡洋一教授が諮問委員会の委員として,東京工業大学の松岡聡教授と私が運営委員会の委員として参画できた。これは,松岡教授のコミュニケーション能力によるところもあるが,グリッドの概念がまだ定まらない早い段階から技術開発を主導してきたという実績が裏付けとなっていることは間違いない。

 初回のGGF会議における日本からの参加は10人くらいで,多くは産業技術総合研究所グリッド研究センターにおけるグリッド・ミドルウェアである「Ninf」プロジェクトの関係者だった。今では企業からの熱心な参加者も増え,毎回100人近い参加者を数えている。

 GGFの歴史は既に5年目に突入し,国際会議の開催も13回を数えた。GGFがアジア太平洋地域を含めて積極的な国際化を図ろうとしてきたことと運営委員会レベルでの発言力が強かったことから,2003年の第7回GGF会合は東京で開催できた。また,グリッド協議会をGGFの地域フランチャイズとして運用するというモデルの実現など,日本からは多くのアイデアを提案している。

 標準化は,結局のところ人と人との調整である。調整を取り仕切る議長に対する雑感を記しておきたい。

 初代の議長は米国アルゴンヌ国立研究所のCharlie Catlett氏だ。Catlett氏はこうした国際的活動に当たって非常に多くの要求を聞きつつ,困難を伴うなか,組織を立ち上げて軌道に乗せた。このことは高く評価されている。しかし,学術研究機関の出身であったこととほかにも多くのプロジェクトを抱えていたこともあり,一部の企業からは不評だった。

 氏の後任として議長に就任したのは,米Hewlett-Packard社のMark Linesch氏である。HPでのマネジメントの実績を最大限に生かし,ビジネスライクにGGFの改革を進めている。特に,標準化ドキュメントの迅速な策定に力点を置き,そのために必要な内部組織と運営モデルの改革を進めている。