日本企業が情報システムのBCP(事業継続計画)に取り組み始めたのは、1995年の阪神・淡路大震災がきっかけだった。そのため多くのBCPが、地震に関しては直下型地震のみを想定していた。国が2007年6月に出した「中央省庁業務継続ガイドライン」も、首都圏直下型地震に備えた指針だった。

 企業だけでなく多くの政府機関でも、東日本大震災のような広域災害への備えが不十分だった。福島第一原子力発電所の事故や、沿岸部にある原子力/火力発電所の損傷に伴う長期にわたる電力危機などは、想定すらしていなかった。

 企業は今、BCPの基本的な考え、戦略を根底から見直す必要がある。

代替戦略を検討せよ

 災害発生時には、人員や保守部品を速やかに集めて、その場でシステムの復旧を図る─。BCPにおいて、このような方針を立てている企業は少なくない。

 しかし東日本大震災では、鉄道や高速道路が広い範囲で不通になり、人員や保守部品の輸送ができなくなった。

図1●「復旧戦略」と「代替戦略」の違い
被害を受けた拠点の業務やシステムをその場で使えるようにすることを目指す「復旧戦略」だけでなく、別の場所で再開する「代替戦略」も検討が必要だ
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 「広域災害に備えるためには、被害を受けた拠点で業務やシステムを再開する『復旧戦略』だけでなく、異なる場所で業務やシステムを引き継ぐ『代替戦略』も検討すべきだ」。富士通総研の伊藤事業部長はこう訴える(図1)。

 代替戦略とは、例えば東京の本社で業務の継続が難しくなったら、大阪の拠点で引き継ぐといった方針である。

 異なる場所で引き継ぐというと大がかりに聞こえるが、「設備や部品を常に複数用意しておく必要は無い」(伊藤事業部長)。それよりも、「異なる場所で業務やシステムを引き継ぐために必要な手順や部品をあらかじめ検討し、日ごろから引き継ぎの訓練を実施することが重要だ」と伊藤事業部長は指摘する。

 富士通グループの例を見てみよう。東日本大震災で同社は、福島県伊達市にあるデスクトップPCやPCサーバーの製造子会社、富士通アイソテックが大きな被害を受けた。そこでこれらの製造を、島根県斐川町にあるノートPCの製造子会社、島根富士通に切り替えた。震災から12日後の3月23日には、島根富士通での代替生産を始めることができた。

 「もし、判断があと24時間遅かったら、切り替えに3倍の時間がかかったはずだ」。伊藤事業部長はこう分析する。部品や燃料は、東日本大震災が起きてから調達した。「判断が早かったので、他社に先んじて調達できた」(伊藤事業部長)と振り返る。

 富士通はあらかじめ、PCやPCサーバー生産の代替戦略を定め、必要な対策を検討していた。しかも、生産切り替え訓練は、2008年度から2010年度までの3年間だけで、40回以上も繰り返していた。代替戦略を策定していたからこそ、震災時にも迅速に判断を下せた。代替戦略を定めれば、設備や部品といった「ハード」の用意はしなくとも、対策の立案や訓練といった「ソフト」の用意をするだけで、効果を見込める。

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